携帯らっと
1 その学校は紅葉の中にあった。 時刻はちょうど夕日の射す頃合いで、建物の中も外も、まるで燃えているように赤い。 校舎の二階にある図書館にも等しく赤い光が充満し、本の背表紙をみな同じ色に染めている。 しかし、そんな赤の洪水をものともしない純白のシルエットが、静まり返る館内にあった。 それは一見するとぬいぐるみのようだったが、れっきとしたこの学校の生徒であった。 短い手で二冊の本を胸に抱え、短いしっぽのついた尻を振りながら、短い足で歩いている。 ぴよらっとである。 背丈は一メートルほど。長い耳はウサギを思わせるが、口は猫のようでもある。黒いつぶらな瞳に、確固たる意志を伺わせるキリッとした眉毛が特徴的だ。 彼が向かう先は本の貸出と返却の手続きを行うための受付カウンターであった。 この学校の生徒は大部分が人間である。そのため、カウンターのサイズも人間に合わせて作られており、ぴよらっとである彼には少々高い。 しかし彼は慣れた手つき、否、耳つきで、巧みに本をカウンターの上に差し出した。長い二本の耳で本を持ち上げたのである。 「今日は居眠り、してなかったみたいですね」 事務的に貸出の手続きをしながら、カウンターの向こうの女子生徒がぽつりと言った。硬い鈴のようなその声にぴよらっとは聞き覚えがあった。 「あ、その節はどうも……」 耳をふにふにと揺らして応えながら、ぴよらっとは声の主のことを思い出していた。 以前図書館の机に本を積み上げて調べものをしていた時、連日の疲れからうっかり居眠りをしてしまったことがある。確かその時に彼女に声をかけられたのだ。 彼女の名前は物江桃子といった。一年生の頃から図書委員を務め、三年生の今では委員長を任されている。背中まで伸びた黒髪とシンプルな眼鏡が、持ち前の端整な顔立ちを引き立てて、いかにも図書委員といった涼しげな雰囲気を漂わせていた。 返却された本を本棚に戻す作業をしていた桃子は、図書館の隅の方にある机で大量の本に囲まれながらうつらうつらしているぴよらっとを見つけた。彼女はすぐに作業の手を止めて向かい側の椅子に腰かけると、目の前の本をどけて、彼が目覚めるまでその寝顔をじっと見つめていた。 やがてぴよらっとが人の気配に気付き目をさますと、桃子は澄んだ硬い声で、「校則にも図書館規則にも居眠りを禁じるという項目はありませんけど、あなたが盗難にでも遭ったらこちらも面倒なので」と一息に言った。 「……これはすみません。お心遣い感謝します」 一瞬、狐につままれたような顔をした後、慌てて姿勢を正しながらぴよらっとが言うと、桃子はフイと視線を外して、「まあ…本にヨダレでも落とされたら困りますし」と付け足すように言ったのだった。 そんなことをぴよらっとが思い出していると、カウンターの横から桃子が覗き込むように顔を出した。 彼女は貸出手続きを済ませた二冊の本を雑貨屋の紙袋に入れてぴよらっとに差し出すと、「二冊では重いでしょう」と言った。 「……どうも、ありがとうございます」 その紙袋が、手も体も小さい自分に対する彼女の個人的な配慮であることを察して、ぴよらっとは深く頭を下げてから受け取った。桃子は、そんなぴよらっとの仕草の一つ一つをまじまじと観察するように見つめていた。 「面白い本を読むんですね」 紙袋を持って既に歩き始めていたぴよらっとに、桃子は声をかけた。何気ない言葉であったが、その内容とタイミングには微妙にズレがあるような、そんな違和感があった。 「変でしょうか……?」 ぴよらっとは桃子に振り返って言った。彼が借りた本は『人体のふしぎ〜くるぶし〜』と『図解カラー 剣の歴史』の二冊であった。 「別に変じゃないですけど。腱と剣をかけてるのかなって」 「えっ?」 困惑気味に聞き返すぴよらっとには答えず、桃子はじっと彼の黒い瞳を見詰め返した。 「……」 二人はしばらく無言で見詰め合っていた。 なんとも言えない微妙な空気が張りつめてきた頃、不意にぴよらっとがそれを打ち破った。 「ああ、なるほど。腱と、剣ですか」 「……うん」 桃子はとても驚いたように大きく目を開けた。そしてすぐにとろけるような笑顔になって頷いた。 実はそれは彼女をよく知る者にとってはにわかに信じ難い光景であったのだが、何も知らないぴよらっとにとっても、その突然の笑顔には思わず息をのんでしまうような、何かを感じずにはいられないものがあった。 しかしぴよらっとはそんな心の内を少しも表に出さずに、「ぼくも気付きませんでした」と言って軽く会釈してから図書館を後にするのだった。 桃子は誰もいなくなった図書館を見渡して、それから少し目を閉じて、なにか考え込むように俯いた。 両手で耳をふさぐと、頭の中がぐるぶるかき混ぜられるような感覚と共に、心臓の音が大きく聞こえてきた。 |