ripsh


携帯らっと
13



 物江桃子は夢を見ていた。自分が怪物になり、この学校の学生を次々に殺していくという悪夢だ。だが夢にしては、生ぬるい体液や、血と脂の濃密なにおいはあまりにも生々しかった。
 また一つ、卵を潰すように命を奪う。その度に自分の中にある何かが満たされていく。
 地獄のような赤の世界にありながら、しかし桃子はどこか安堵したような気持ちでいた。
 怪物が歓喜の雄叫びを上げる。
 猛り狂う怪物の頭上に、ぼんやりと二人の少女が浮かんでいた。惨状を眺めながら恍惚の表情を浮かべている自分と、怪物を嫌悪の眼差しで見詰める自分であった。
 彼女たちは傍観者である。彼女たちには何もできない。ただ相反する思いを抱きながら目の前の現実を見続けるしかない。
 ふと、鈍い衝撃が怪物の体に伝わった。右腕、肘のあたりに広がる痺れは、徐々に鮮烈な痛みへと変わっていく。
 腕を斬り落とされたのだ。そう気付くと同時に、閃く刃が網膜に焼き付いた。反射的に身を引く。浅い。しかし、耳と鎖骨が切断された。刃の持ち主は更に迫り来る。それは少女だった。
 髪を一つにまとめて、眼鏡をかけている。初めて見る顔の筈なのに、どこかで会ったことがあるような懐かしさを覚えた。
 ごめんね。
 言葉になったかどうかは分からない。もう一度、心の中で同じ言葉を呟いて、桃子は腕を振った。肘から先の無い右腕を。
 傷口からほとばしる血の一滴一滴が魔力を得て散弾となり、少女の体を穴だらけにした。致命的と思える傷を負いながら、それでも少女はまだ生きていた。驚くべき俊敏さで距離をとり、どこからともなく光り輝く剣を取り出す。その剣の光に照らされると、傷がみるみる塞がっていった。
 しかしその時、少女の体内に入り込んだ桃子の血液が時間差で爆裂した。まるで肉の内側から無数の花が咲くように、瞬間的に体の三分の二以上が挽き肉になった。今度こそ少女は即死した。
 桃子は泣いていた。泣きながら少女の死体を貪っていた。
 ああ、これだったのだと桃子は思う。
 これまで決して癒えないと思っていた渇きは、もう、どこにもなかった。

 「神様、ですか?」
 「その呼び方が妥当かどうか、ちょっと自信がないんですけれど」
 困惑するようなぴよらっとの声を受けて、リリィは視線を宙に巡らせながら答えた。
 「例えば、すごろくという遊びがありますわよね。私たちはその駒なのですわ。スタートからゴールまで一方向に進むことしかできず、指定されたマスに辿り着かなければこれからどんなイベントが起こるのか分からない。でも、そのすごろくのゲーム盤を上から眺めている人はどうでしょう? これから起こること、これまでにあったこと、もしかしたらあったかもしれないこと、その全てを把握できる筈ですわ。一つ上の階層からこの世界を見下ろす存在……物江桃子さんには、半分だけそういったモノが混じっているのですわ」
 リリィの口調は淀みなかったが、その表情は明るいとは言い難かった。
 「じゃあ彼女がある日突然おかしくなったのは、そいつが原因と考えていいのかな?」
 それまでぴよらっととリリィのやりとりに耳を傾けていたゴルドが口を開いた。
 「おそらく間違いないと思いますわ。『その日』に何かが起きた結果、彼女の体を構成する要素の半分が神様――この呼び方はあまりふさわしくなさそうですわね。ええと……」
 「とりあえず、観測者とかでいいんじゃないかな」
 「ではそうしましょう。彼女を構成する要素の半分が観測者のものとなってしまった。その結果、彼女は人間らしいコミュニケーション能力と記憶を失ってしまったのでしょう。ただ……」
 リリィはそこで一旦言葉を区切った。
 「ただ、先ほども言いましたけど、そんな状態になってしまったら普通は生命活動を維持するだけで精一杯の筈ですの。ああして眠ったまま、起き上がることはない筈ですわ」
 「でも、ぼくたちは何度も桃子さんと話していますし……」
 たまらずぴよらっとが言った。
 「……それは、本当に彼女だったのかしら? つまり、あの眠っていた子と、あなたたちが言う物江さんが別人だという可能性は?」
 「さっきは顔は見えませんでしたが、あれは確かに桃子さんでした。ぼくは何度か桃子さんとお話ししたことがありますが、彼女の呼吸音には特徴的な響きがあるんです。……ぼくはぴよらっとです。ぴよらっとの耳が聞き間違えることはありません」
 「なるほど……」
 しかし、リリィは未だに疑念が晴れていない様子だった。無理もない。あんな歪なモノを見るのは、千年を生きて来た彼女にとっても初めてのことだったのだ。
 「……そうだ」
 突然ぴよらっとは受付の裏に回り、椅子によじ登ると、端末を操作し始めた。受付に備え付けられたモニターの表示が目まぐるしく切り替わる。
 「これを見てください」
 ぴよらっとはモニターを皆の方に向けた。それは監視カメラの映像だった。桃子が本棚の間を歩き回りながら本の整理をしている姿が映し出されている。
 「確かに……あのベッドにいた彼女ですわね。普通に歩いている」
 決定的な証拠を見せられて、リリィはついに認めざるを得なかった。
 「それに、こうしてデータに残っているなら、皆が暗示にかかっているという可能性も無さそうですわね」
 「おいおい、僕がそんなドジを踏むと思ったの?」
 ゴルドが大袈裟に肩をすくめてリリィに言った。
 「ふふ、そうですわね。でも用心するに越したことはありませんわ」
 「しかし……そうなるとリリィ、彼女が半分観測者だという話は間違いということにならないか?」
 「私は見たままを話しただけですわ。でも、それが現実と噛み合っていなかったのは事実。それならば……この件に関しては、私よりも詳しい人に聞いた方が良さそうですわね」
 「あなたより詳しい人? ……彼女の父親とか、かな?」
 「確かに、物江さんのお父様なら全てを知っているでしょうね。でも、これから住所を調べていては時間がかかりますし、たとえ会えたとしても見ず知らずの私たちに話してくれるかどうか」
 「それじゃあ……」
 「それよりも、もっと近くに、この件に関して私よりも詳しい人がいるのですわ。……ねえ、ミカさん?」
 リリィの瞳が赤く揺らめいた。