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携帯らっと
14-3



 それから二人は互いの携帯端末のIDを交換し、連絡を取り合いながら桃子を救うための具体的な手段を考えることにした。ミカは桃子と直接会う訳にはいかなかったので、図書館にはゴルドだけが通い、その様子を逐一ミカに伝えた。ミカは桃子をあんな場所にずっと留めている学校側に何か秘密があると踏んで、そちらから調べることにした。
 桃子が今置かれている状況は、軟禁に近いのではないかとミカは考えた。桃子はいつも司書室の奥の部屋(のような場所)で寝泊まりをして家には帰っていないらしい。外に出ようと思えば簡単に出られる筈だが、何故か彼女が外に出ている姿は想像できなかった。
(もしも物江さんが未来を予知するような力を持っているとしたら、学校がそれを手の内に置いておきたいと考えたとしても不自然じゃない。でも、それにしては物江さんの行動を自由にさせ過ぎている。人と会うこともできるし、逃げようと思えばいつでも逃げ出せる。その上、図書委員長という権力まで与えて……一体何をしたいのか)
 学校側のことを調べると言っても、ミカにはハッキングの技術は無かったので、正面から直接聞くしかなかった。しかし予想通りと言うべきか、反応は芳しくなかった。事情を知っている職員に話を聞こうとしても、図書館、あるいは桃子の名前を出したとたんに態度を硬化させる。人の良さそうな教師などは、
「悪いことは言わないからあらゆる意味で図書館には近付かない方がいい」
 と丁寧に忠告してくれるのだった。これには、今まさに盛り上がりを見せている例の噂の影響もあるらしかった。
 学内ネットワーク上では、ヴァンパイアの学生ことゴルドに学校側から何らかのペナルティが課せられるらしいという話がまことしやかに流れていた。

『最近やたらと来客が増えてきた。例の噂とやらのせいだろう。彼女に声をかける奴も出てきて、それも増える一方だ。まあ彼女は無視するか、うるさい奴には恐ろしい脅し文句で対応しているから今のところは大丈夫そうだけどね。しかしこれから更に数が増えるとしたら、実際に手を出す奴が出てくるかも知れない。なんだか面倒なことになってきた気がするよ』
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『面倒の原因はあなた自身にあることをお忘れなく。もし物江さんが危険な状況になりそうだったらすぐに連絡ください。こちらは相変わらずです。学校側はどうしても図書館と物江さんのことについて触れて欲しくないみたい。でも今日ひとつ興味深いものを見つけました。内容は会って話した方がいいでしょう。ところであなたは大丈夫なんですか? 学内ネットではあなたが学校からペナルティを受けるらしいという噂になっています。気をつけて』
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『僕の方は心配いらない。けど確かに、今まで彼女と図書館をタブー視してきた学校がここまで騒ぎを大きくした中心人物を放っておくはずもないか。気を付けるよ、ありがとう。ところでそっちの発見は気になるね。いつもの場所でいいかい?』
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『構いません』

 学生寮、時刻は夜。夕食が終わった頃。
「じゃあちょっと行ってくるよ」
 ゴルドは相部屋の友人に声をかけた。
「いいなあ。何でお前ばっかモテるんだよ。俺も夜な夜な女の部屋に遊びに行きたーい。愛されたーい」
 同居人は枕を抱えてゴロゴロと床を転がりながら喚いた。そのまま部屋を出ようとしていたゴルドの所まで転がって行き、足元にすがり付く。
「なあどうすれば恋人ってできんの? 出会いはどこに売ってんの?」
「そうだなー、冷蔵庫にアイスあるから食べていいぜ」
「いいの!? やったー!」
 自作の歌を歌いながら部屋の奥へと走り去る同居人を見送りつつ、ゴルドは部屋を出た。向かう先はもちろんミカの部屋である。互いに同じ寮に住んでいると分かってから、重要度の高い話をする時はミカの部屋に集まることにしていた。この寮では一応男女で部屋の区画が分けられているが、彼らの交流を制限する規則は設けられていない。
 ゴルドはミカの部屋の前まで来ると、ノックの代わりに携帯端末をリーダーにかざした。のっぺりとした黒のリーダーに緑色の光が浮かぶ。音もなくロックが外れたドアを小さく開けて、ゴルドは滑り込むように部屋に入った。部屋の中は真っ暗である。そのまま構わず進み、部屋の中ほどまで来ると、パッと明かりがついた。
「心配性だな、君は」
 ゴルドは壁際に佇むミカに言った。
「昼間の件ですけど」
 ミカは返事も挨拶も抜きにして本題に入った。ゴルドは軽く肩をすくめて、
「座っていいかな?」
 ベッドを指さした。
「どうぞ」
 答えながらミカもゴルドの隣に腰掛け、自分の携帯端末の画面を見せた。端から見ればそれは恋人同士が二人で撮った写真や動画を仲睦まじく鑑賞しているようだったかも知れないが、実際ミカの携帯端末に写っていたのは無機質な文字だけだった。
「これは……」
 それはとある住所のデータだった。一番上に『物江イズミ』とある。
「教員用の固定端末で見つけたんです」
「簡単に言うね……」
 教員用の固定端末は職員室にしかない。当然、学生が自由に触れるものではない。ゴルドは色々と湧いてくる疑問を押し止めて、もう一度そのデータを眺めた。
「これは桃子ちゃんのお父様の名前かな」
「そのようです」
「でもこういうものなら、学内ネットを漁ればすぐ見つかりそうだけど」
 桃子は無言で携帯端末を操作した。画面上に新たなデータが現れ、先ほどの住所の隣に並ぶ。新しく表示されたデータも住所のようだった。名前は『物江桃子』とある。しかし、二つの住所は全く別物だった。
「こちらが学内ネットで見つけた物江さんの住所です」
「なるほどね……。で、いつ行くんだい?」
 ゴルドはミカが言わんとしたことを瞬時に察したようだった。
「明日にでも」
 もちろん、物江イズミと書かれた方の住所に、である。
「二人で行くかい? それとも僕は彼女を見ていた方がいいかな」
「……いえ、一緒に行きましょう」
 少し考えてからミカは言った。
「ついでにあなたはしばらく身を隠していた方がいいかも知れない」
 学校側の動きを警戒する意味もあったが、それよりもミカは、ゴルドが桃子に攻撃される可能性を考えていた。

 その家は、学校からバスを二つ乗り継いだ先の街にあった。雑多な景色に溶け込むような、目立たない建物である。到着したのは昼過ぎだったが、目当ての人物が現れたのは赤い日が沈んだ後だった。
「そうか……娘が世話になっているようだね。しかし私から話せることは何も……」
 がらんとした部屋に、ウレタンのような材質でできた立方体がいくつも転がっている。物江イズミはそのうちの一つに腰掛けて、物憂げに言った。ミカとゴルドも各々手近な立方体に座っている。
 物江イズミは線の細い男だった。背丈はゴルドと同じくらいだが、その長身に釣り合うだけの厚みがなく、どこか虚ろな雰囲気を漂わせている。スーツの上から羽織った白衣が、更にその印象を強めていた。
「聞きたいことがあります」
 物江イズミの言葉が終わらないうちにミカは切り出した。何時間も家の前で粘り、ようやく現れた獲物なのだ。この機会を逃すまいと半ば強引に家の中に上がり込んだミカとしては、何としても有用な情報を聞き出さなければ帰れないのだった。
「桃子さんは未来を見る力を持っていますね?」
 ミカは本気でそう思っている訳ではない。ゴルドの時と同じ要領だ。自分は何かを知っていると印象付けることが大事なのだ。しかし、物江イズミの反応はミカが期待したものとは少し違った。
「そうなのか? あの子が自分でそう言ったのかい?」
 心底意外そうな表情。しかしミカもこの程度で慌てるような細い肝の持ち主ではない。
「桃子さんは、知らないはずのことを知っていると言っていました。自分のいる場所だけがズレているようだと。彼女はとても不安そうでした……」
「そうか……」
 娘が不安そうにしていると聞かされたのに、物江イズミの目は何故か穏やかだった。
「桃子さんは、自分はあの日から壊れてしまったと、そう言っていました。『あの日』に何があったのか、桃子さんは今どういう状態なのか、教えていただけませんか」
「君たちはそれを知ってどうするつもりだい?」
「私たちは桃子さんを救いたいと思っています。でも、彼女の肝心なことをほとんど何も知らない。だからここに来たんです」
「ふふ……」
 今度こそはっきりと物江イズミの顔に笑みが浮かんだ。ひょっとしてこの人も壊れているのではないかとミカは思った。
 ミカが物江イズミの様子を訝しんでいると、これまで終始無言で通していたゴルドが口を挟んだ。
「何かおかしいことでも?」
 その顔はうっすらと微笑をたたえているが、いかにも作り物じみていて、妙な迫力がある。
「いや、すまない。あんな状態になってしまったあの子のことをこんなにも心配してくれる友達ができたのかと思うと、嬉しくてついね……。不快な思いをさせてしまったなら謝るよ」
 ミカとゴルドは思わず顔を見合せた。
「わかった、私の知っていることなら何でも話そう。他でもない娘の友達の頼みだ。さて、どこから話そうか……」