ripsh


携帯らっと
17



 旧校舎を出てしばらく歩くと、分かれ道にぶつかる。
 片方は新校舎へと続く道、もう片方はグラウンドの裏へと続く道である。
 道といっても舗装されている訳ではなく、人の足で踏み固められた程度のもの。
 しかしグラウンド裏への道は新校舎ができてから利用者が減り、今ではほとんど手入れがされていないため、ほとんど雑草に埋もれてしまっている。
 ぴよらっとはその分かれ道に差し掛かった時、妙な気配を感じて足を止めた。
 日が沈んだばかりで辺りは薄暗い。目を凝らしてもこれといって不自然なものは見当たらない。しかし、ぴよらっとの大きな耳は普通なら聞こえる筈のないほどの小さな音を聞き取っていた。茂みの中に潜み、そっとこちらの動きを追う僅かな関節の軋み。
「誰ですか。用があるなら出てきたらどうですか」
 ぴよらっとが草むらに向かって呼び掛けると、数秒の間を置いてから二つの影が躍り出た。
 それは瓜二つの金属の塊だった。シルバーとゴールドの中間のような光沢。高さは一メートルと五十センチほどで、楕円のボディに蜘蛛のような八つの脚と眼を取り付けたような奇妙な形をしている。重厚なボディにはいくつかの火器が内蔵されているらしい。
 ぴよらっとは直感的にミカの話を思い出した。図書館に散乱していたという金属片。目の前にいるものは恐らく学校側が使役している機械兵に違いなかった。
「ぼくに何かご用ですか?」
 ぴよらっとが話し掛けても機械兵は答えなかった。その代わり、とでも言うように、一体の機械兵の体から細い砲身が飛び出し、間の抜けたような軽い音を立てた。
 ぴよらっとは予備動作を見て咄嗟に回避行動を取っていた。地面が雨に打たれた水溜まりのように踊る。手に持っていた紙袋を銃弾がかすめ、地面に投げ出された本はあっという間に紙屑へと変わった。
 警告もない突然の攻撃にぴよらっとは驚き、そして即座にその意味を理解した。信じがたいことだが、学校側は物江桃子に深入りした者を消すつもりなのだ。
 ミカの話からすれば確かに、桃子への過度なコンタクトは変容を早める危険性があるのかも知れない。しかし、対話も説得もなしにいきなり銃を撃ってくるというのは、いささか乱暴に過ぎる。
 ぴよらっとは地面を駆けながら、借りたばかりの本の残骸を横目で見た。ぴよらっとの胸の中に、久方ぶりに忘れていた怒りの感情が渦巻いた。

「ぼくを……ぼくを誰だと思っているんだ! ぼくはぴよらっとだぞ!」

 ぴよらっとの体がゴムのようにしなったかと思うと、次の瞬間には機械兵の体は強烈なタックルを受けて地面から浮き上がっていた。すかさず彼はその下に潜り込むと、どこからともなく一振りの剣を取り出し、最初のタックルと同じ勢いでもって斬り上げた。
 頑丈な装甲に護られた機械兵の弱点を、ぴよらっとは一目で見抜いていたのだ。
 一旦落下しかけた機械兵の体が再び浮き上がった。ぴよらっとはそこから更に回転し、まるで風車のように自らが剣の中心軸となって機械兵のボディをズタズタに斬り裂いた。あと一息で機械兵の装甲はカニの甲羅を剥がすようにスライスされる。
 と、突如ぴよらっとは攻撃の手を止め、全速力でその場から離脱した。直後、ボロボロの機械兵の体が白光に包まれ、猛烈な勢いで熱と爆風と金属片を辺り一面にバラ撒いた。自爆ではない。もう一体の機械兵が砲弾を撃ち込んだのだ。
 ぴよらっとの体は爆風に煽られて数十メートルも吹き飛んだが、ボールのように丸くなって衝撃を殺したため無傷であった。しかし敵との距離はかなり開いてしまった。
 ぴよらっとはすぐさま距離を詰めようとしたが、素早い的確な銃撃に阻まれてしまった。
 もう一体の機械兵は先ほどのぴよらっとの戦闘データを取り込み、常に距離を保ちながらの戦い方にシフトしていた。ぴよらっとが近付こうとすれば小回りのきく機銃で牽制し、動きが止まれば直射砲撃をしていく。
 戦闘は常に目まぐるしく移動しながら、やがて二人は森の中へと戦いの場を移していった。
 ぴよらっとは焦れていた。いっそ逆に戦闘域から離脱してしまうのはどうかとも考えたが、もしも相手の最大射程距離が学校の敷地を超えるとしたら、本当に手も足も出なくなってしまう。ここはやはり多少の無理を通してでも突っ込むしかない。
 覚悟を決めたぴよらっとは、急にぴたりと足を止めた。途端に襲いかかる砲弾の群れをギリギリでかわし、一息に急加速をかける。当然、待っていたとばかりに細かい弾丸の雨が降り注ぐが、ぴよらっとはどこからともなく盾を取り出してこれを押し切った。角度をつけて弾いたとはいえ、恐ろしい速度で飛来する弾丸が体に伝えるダメージは決して小さくはない。しかし距離はかなり稼いでいた。同じ銃撃にならあと数回は耐えられる。
 その時、黒くて大きな弾丸のようなものが迫ってくるのをぴよらっとは見た。榴弾であった場合は盾で受けるのはまずい。ぴよらっとはこれ以上の接近を中断し、横に跳んで回避を試みた。
 ぴよらっとの視界の中で、圧縮された時間がゆっくりと流れる。黒い弾丸は今しがたぴよらっとがいた場所に吸い込まれて行くが、命中には程遠い位置でバッと砕け散った。やはり。そう思った瞬間、ぴよらっとは全身の自由を奪われて地面に転がり落ちた。立ち上がろうともがくが、うまく身動きが取れない。
 ぴよらっとの全身は、細くしなやかな網に絡め取られていた。先ほどの弾丸は榴弾ではなく、圧縮した網を詰め込んだ捕獲用の弾だったのだ。
 網の繊維は極めて強靭で、その上少しばかりの伸縮性と粘りけを持っているため、脱出しようと手足を動かせば動かすほど絡みついてくる。
 剣で斬るしかない。しかし、ぴよらっとがそう判断した時には既に、砲弾が目前まで迫ってきていた。
 轟音と共に地面が大きく抉り取られる。太い幹を持つ木が薙ぎ倒され、悲鳴のような音を立てた。もうもうと土煙が立ち上ぼり、巻き上げられた土くれがバラバラと葉を鳴らす。仮にぴよらっとが咄嗟の判断で守りを固めたとしても、まず間違いなく盾一つでは防ぎようのない威力だった。
 土煙は風によってすぐにかき消える。しかし着弾点付近には白い耳の破片などは一つも転がっていなかった。

「――死ぬかと思ったわ」
 着弾点からさほど離れていない木立の陰。ぴよらっとは、少女に方耳を掴まれてぶら下がっていた。
「なんかとんでもないことになってるねえ」
「あ……ありがとうございます、部長」
 ぴよらっとを助けたのは、歴史編纂部の部長だった。
「でもどうしてここに……」
「話はあと! まずはあいつを黙らせないと」
 部長はぴよらっとを地面に降ろすと、スカートのポケットから独特な形をしたナイフを取り出した。

 機械兵は着弾後直ちに周囲のスキャンを開始していた。
 木の陰に人間のものと思われる熱反応を感知したが、それが自分に敵対する者かどうかを判断するためのデータ照合と、統括管理者に攻撃許可申請を行っていたために、数秒の硬直時間が生じていた。

「戦闘はあんまり習えなかったんだけどなー……」
 鞘を取り払われたナイフは大きく湾曲しており、刀身には奇妙な紋様が浮かんでいた。
 部長がナイフの腹にそっと指を這わすと、ずるずると、まるで生きているかのように紋様が動き出し、指先を伝うようにしてすっかり手全体へと移動してしまった。
 部長はナイフを鞘に戻してポケットに入れ、祈るように両手を組み合わせた。片手にしかなかった紋様が伸びて広がり、両手を覆い尽くす。部長が一言二言何かを呟くと、紋様がぼんやりと暗い紫色の光を発し始めた。
「……さて、それじゃあ行こうか。私は右、ぴよらっとくんは左ね」
 部長の瞳は紫と金に輝いていた。魔女の瞳だ。
 ぴよらっとは部長から離れるようにして機械兵の側面に回り込んだ。部長も反対側から回り込む。どちらか片方が攻撃されたら、フリーになった方が一気に距離を詰めて叩くという、極めて単純な作戦だった。
 武装した人間が相手だったなら、それも有効な手だったかも知れない。しかし敵は機械である。部長への攻撃許可を得た機械兵はぴよらっとと部長をいっぺんにロックオンすると、体の左右にある機銃で二人を同時に掃射した。ぴよらっとは持ち前の反射神経で辛くもこれをかわしたが、部長にはぴよらっとほどの素早さはない。その体はなす術もなく銃撃にさらされた。
 だが、部長の足は止まらない。
 弾丸を全身に浴びながらも部長は走り続けた。
「いだだだだ」
 断続的な発砲音と重なるように、緊張感のない声が響く。銃撃によってボロボロになった制服からチラリと覗く部長の脇腹には、驚くべきことに傷一つ付いていなかった。
「あーもう制服……もー!」
 銃弾を受けながらも敵に接近する部長の姿を見て、ぴよらっとも逃げ回るのをやめた。盾を構え、弾をいなしながら近付く。と、機械兵の両肩部分から、乱射している機関銃とは別の銃身がせり出し、黒く大きな弾を二人に向けて同時に放った。それはつい先ほどぴよらっとを窮地に立たせた代物だった。
「網です部長! 避けてください!」
 叫びながらぴよらっとは盾を消し、代わりに剣を取り出して弾丸を真っ二つに斬り捨てた。そのまま急激に進行方向を変え、近くにあった大きな石の陰に身を隠して一息つく。再び盾を出すにはしばらくインターバルを置かなくてはならない。部長は大丈夫だろうか? 剣を鏡のようにして向こう側を覗くと、部長の姿は、空にあった。

 網です、というぴよらっとの声を聞いて、部長は先ほどぴよらっとが捕らえられていた蜘蛛の巣のような網を思い出した。あの網からぴよらっとを助けられたのは、初歩の転移魔術のおかげだった。自分が捕まってしまった場合は使うことができない。
 決断は早かった。短く一言だけ呟いたのは、『飛べ』というような意味の呪文。次の瞬間、彼女の体は新校舎を飛び越える程度の高さにまで移動していた。
 一瞬で跳んだにしてはかなりの高度だが、これは飛翔の魔術ではなく跳躍の魔術である。上昇エネルギーが尽きた体は、重力によって既に落下し始めていた。しかし、このまま推進力を加えて滑空していけば、走るより遥かに速く敵を攻撃範囲内に捉えられる。部長は虹の橋を滑り降りるようにして空を駆けた。
 機械兵は突如反応が消失した部長をすぐさま上空にて再度ロックオンした。だが機銃による攻撃は行わない。ボディの周りにある複数の眼で、その軌道を観測することに努めた。地面を蹴るような急激な回避運動は空中では取ることができない。そこが狙い目だった。相手はまっすぐこちらに向かって降下してくる。その軌道の計算を終えると、機械兵はランチャーから六発の小型ミサイルを発射した。
 眼下に迫る銀色の群れを見た部長は、両手を大きく振って辺りに光の粒をばらまいた。六発のミサイルのうち一発が光の粒に向けて軌道を変えたが、残り五発はそのまま部長の至近距離まで食らい付き、一斉に爆発した。
 同時に地上でも、動きを止めたぴよらっとに向けて三発のミサイルが放たれていた。空と地上の両方で大きな爆発が起きた。機械兵のレーダーやセンサー類は一瞬だけ回路を閉じた。
 ぴよらっとは剣を消して余力を全て素早さに上乗せし、ミサイルを回避。機銃が途切れた一瞬の隙を突いて機械兵に肉薄した。再び剣を取り出して斬撃一閃。ぴよらっと側に開いていた砲門や機銃をあらかた破壊し、更に一撃を加える。機械兵のボディに無数の傷が彫られた。しかし、明らかにそれは浅い。やはり弱点である腹の真下以外はかなり装甲が厚いらしい。
 機械兵の側部に巡らされている複数の眼が開き、無機質な視線をぴよらっとに向けた。何か、まずい。ぴよらっとがそう直感した直後、空から流れ星が落ちるように部長が機械兵の頭上を強襲した。八つの脚が地面にめり込むほどの衝撃。しかし、機械兵の装甲にはヒビの一つも入らなかった。
 ごとり、という音を聞いてぴよらっとは地面を見た。小さな黒い円柱のようなものが、機械兵を取り巻くように転がっていた。
「部長、飛んでください!」
 叫びながらぴよらっとも耳を折り畳み全力で後方に飛び退いた。しかし部長は機械兵の上でうずくまったまま動かなかった。直後、黒い果実が咲いた。溢れる閃光と音の嵐。薄暗い森が昼間のように照らし出された。
 一発でもかなりの制圧力を誇るスタングレネードを十一発。その衝撃は、しっかりと距離を取り目と耳を塞いでいたぴよらっとですら危うく意識が飛びそうになるほどだった。
「……部長!」
 キンキンと鳴る耳を振りながら、ぴよらっとは眼を凝らした。部長は機械兵の上に乗ったまま意識を喪失しているように見えた。もしかしたら空中でミサイルの爆発に巻き込まれた時点でもう意識は無かったのかもしれない。薄く開かれた瞼の奥には色素の薄い茶色の瞳が虚空を見つめていた。両手両膝をついた姿勢のままぴくりとも動かない。しかし、その両手は、決して離すまいと機械兵の装甲をがっちりと掴んでいた。
 そこでぴよらっとはおかしなことに気付いた。スタングレネードを使ってから、機械兵の動きが完全に止まっているのだ。自らの武器で自滅するような甘いつくりではないと思うが、もしかしたら先ほどの剣のダメージが思わぬ結果を招いたのかも知れない。いずれにしてもこの機を逃す手はない。
 ぴよらっとは最速で機械兵に接近し、そして、それを見た。
 部長の両手の紋様が、意思を持っているかのように蠢きながら機械兵の装甲に拡がっていたのだ。
「ンー」
 寝起きのような声を出して部長が意識を取り戻した。
「部長、大丈夫ですか!?」
 呼び掛けながらぴよらっとは剣を構えたが、機械兵のボディ全体に拡がっていく紋様を見て、攻撃していいものかどうか判断をつけられずにいた。
「大丈夫だよ。もう平気」
 そう言いながら部長は少しだけ長いまばたきをした。瞳は、再び紫と金の魔眼になっていた。部長が短い呪文を口にすると機械兵に貼り付いた紋様がオーロラのように淡く発光し、次の瞬間、機械兵の体は継ぎ目を解かれた玩具のように崩壊した。
「すごい……」
「相手を支配するだけの魔術よ」
 部長はガラクタと化した装甲の上から飛び降りて頭を振った。
「それにしても、こんなにてこずるとは思わなかったなあ」
「部長、体は大丈夫なんですか?」
 あまりに部長がいつも通りなので、ぴよらっとは彼女が機銃やミサイルやスタングレネードを生身で受けていたことをうっかり忘れかけていた。
「初めて会った時にも言ったでしょ、普通の人より頑丈だって」
 部長の肌は煤や灰で汚れていたが、血は一滴たりとも流れていなかった。信じられないことに鼓膜も破れていないらしい。体が丈夫とかそんなレベルではないが、ぴよらっとは深く考えないことにした。

 ぴよらっと達が戦っていたのは学校裏の森の中だったが、そこは激しい戦闘によって木々がなぎ倒され、ぽっかりと開けた広場のような場所に変わり果てていた。
 その広場に、昇り始めたばかりの赤く大きな月が光を投げかけた。
「うーん、どうしようかなこれ……」
 赤い月に照らされた自分の体を見下ろし、胸の前で腕を組みながら部長は呟いた。靴は両方とも脱げてしまっており、靴下には大きな穴がいくつも空いている。スカートは右半分だけが何故かほぼ無傷だが、もう半分はかろうじて下着を隠す程度のささやかな布地しか残っていない。着ていた筈のカーディガンは完全に行方不明で、その下のワイシャツも背中の部分がすっかりなくなってしまい、肌が露出している。腹から胸にかけては銃弾による穴が無数に空いており、もはや服と呼べる代物ではなくなっていた。
「木から繊維を抽出して糸を作って布状のものになんとか……ダメだ、一晩かかるわ……」
 その場にしゃがみ込んで倒木とにらめっこをしていた部長の肩に、不意に真っ白なタオルケットのようなものがかけられた。
「えっ? これ……」
「それは私のタオルだ」
 ぴよらっとだった。
「ん?」
「いえ……ぼくのタオルです。ないよりマシだと思うので、よかったら使ってください」
「ありがとう……と、その前に」
 部長は無傷だった側のスカートのポケットからナイフを取り出し、短く言葉をかけて両手の紋様を全て刀身に移動させてから鞘に納めた。
「髪は無事なんですね」
 ぴよらっとはふと気付いて言った。
「髪は魔女の命だもの。特に念入りに防御しているの」
 得意そうに部長は言う。それなら服も同じようにすればいいのにとぴよらっとは思ったが、今さら指摘するのはやめておいた。
「学校にジャージとか置いてありませんか?」
「ないなあ。使う日だけ持ってくる派なのよ」
「部長の家はここから遠いですか?」
「そうね、ちょっと遠いかも」
「それじゃあひとまず寮に行きましょう。寮長に頼めば、服くらいはなんとかなるかもしれません」
「寮って、坂の下にあるあのお城?」
「そうです」
「へえ、あそこに住んでたんだ」
「ええ……」
 答えながら、そういえばミカも同じ寮に住んでいるのではなかったかとぴよらっとは思った。
 どうして今まで失念していたのだろう。寮に着いたらゴルドに相談してみよう。そう思いながら、ぴよらっとは暗い森の中を歩き始めた。