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携帯らっと
19



 ぴよらっとが自室の扉を開けると、廊下の薄闇に明かりが漏れだしてきた。どうやらゴルドが先に帰ってきているらしい。ぴよらっとの後に続いて、タオルを羽織った部長がキョロキョロと辺りを見回しながら部屋に入った。
「おかえりぴよらっと。遅かったね」
 ゴルドはこちらに背を向けるようにして居間のソファに座り、ガチャガチャと手元の何かをいじっていた。
「ただいま帰りました……何ですかそれ?」
 ぴよらっとがゴルドの肩越しに覗き込むと、どうやら彼は金属製の棒のようなものを分解しているようだった。それは人間の腕ほどの長さで、中心に穴が通っている。どこかで見たような気がするなとぴよらっとは思った。
「いやあ、放課後に屋上を……」
 話しながら振り返ったゴルドと、ぴよらっとの後ろにいた部長の目が合った。
「お邪魔しまーす?」
「……」
 ボロボロに焼け焦げた服。土で汚れた素足。火災現場から逃げ出してきたかのような部長の姿を見てゴルドは一瞬無表情になった。
「……あー、そうそう、今夜はアレがあったっけな。じゃ、僕はアレなのでこれで」
「ゴルドさん違います」
 そそくさと出て行こうとするゴルドをぴよらっとが呼び止める。
「この人は歴史編纂部の部長さんで」
「わかってるって。誰にも言わないよ」
「僕を助けてくれたんですよ」
「なに、恥ずかしいことじゃあない」
「……ゴルドさん、わかっててやってませんか?」
 二人のやりとりを見ていた部長が、クスクスと笑い出した。
「二人とも仲がいいのねえ」
「あ、部長、紹介が遅れてすみません。ルームメイトのゴルドさんです」
 ぴよらっとは呆れたように眉を下げながら言った。
「はじめましてゴルドくん。歴史編纂部の部長です。気さくに部長って呼んでね」
「これはどうも……ぴよらっとがお世話になっています。僕のことはどうかゴルド卿とお呼び下さい」
 部長と握手を交わしてからゴルドは二人の姿を交互に見比べて、安心したように微笑んだ。
「まあ……無事で何よりだ」
「あ、やっぱりわざとだったんですね」
 ぴよらっとの耳がブンブンと揺れる。
「まあまあ、これもお約束というやつだな」
 言いながらゴルドはテーブルの上に置いてある金属の棒を手に取った。
「それは……」
「たぶん同じ相手だろう。僕も会ったんだよ」
 ぴよらっとはゴルドが手にする金属が何なのか理解した。それはあの機械兵の一部、機関銃の部品だった。
「部長さんの様子を見ると、そっちじゃミサイルか何かを使ってきたようだね。怪我は……ないみたいだけど」
 ゴルドはさして驚いた様子もなく言った。部長の正体についてある程度察しがついていたのかも知れない。
「ああそうでした。それで部長には寮まで来てもらったんです。誰かに着るものを借りようと思って」
「服か……しかしこの時間じゃあ……そうだ、僕の服ならすぐに出せるよ。買ってからまだ着ていないやつがある。家に帰るまでなら男物でも構わないだろう?」
「今はもう着れるものなら何でもいいわ」
 部長は羽織っている白いタオルをパタパタさせながら言った。
「よければついでにシャワーを浴びて来るといい。せっかくの美人が台無しだ。こいつの話はその後にしよう」
 そう言ってゴルドは機関銃の部品をテーブルの上に置いた。

 数十分後、細身の黒いジーンズにブカブカのワイシャツという出で立ちで部長がバスルームから出てきた。シャワーを浴びた後とあって、普段ふんわりしている茶色の髪がしっとり艶やかに背中まで伸び、色素の薄い肌がほのかに桜色を帯びている。
「似合う?」
 その場でくるりと一回転。
「正直文句がつけられないほど似合うが……」
 うーむと唸ったきりゴルドは哲学者めいた表情で黙ってしまった。
「少し大きいですけど、大丈夫じゃないでしょうか」
 ぴよらっとは見たままの感想を述べた。
「たまにはこういうのもいいかもね」
 部長はソファーに腰かけ、ジーンズの裾を丹念に折り畳む作業に取りかかっている。
「それだけじゃあ寒いだろうから、これも着るといい」
「あ、ありがとう」
 部長はゴルドから灰色のパーカーを受け取った。しかしワイシャツの上からそれを着てみると、圧倒的に袖の部分が余ってしまっている。
「ふむ……フードも被ってみようか」
 部長の頭にひょいとパーカーのフードが乗せられた。しかしサイズが大き過ぎるため、ずり落ちるように片目が隠れそうになっている。
「うーむ……」
 ゴルドの眉間の皺が深くなっていく。
「あの、ゴルドさん?」
「そうだ、伊達メガネがあったな」
「ゴルドさん?」
「いえーい」
「部長もノリノリでポーズを取らないで下さい……」
 ぴよらっとは、まるでゴルドが二人に増えたかのような気持ちになってため息をついた。

「結局、あの機械は何だったんでしょうね」
 ゴルドと部長のファッションショーが一段落した後、熱い緑茶を満たしたカップを手にしながらぴよらっとが呟いた。
「学校の警備ロボットじゃないかな」
 ぴよらっとの隣に腰掛けたゴルドが例の金属の筒をいじりながら言った。
「僕があれに襲われたのは新校舎の屋上だったんだ。外部からあんなところまで侵入できるとは思えない」
「あれ、学校に屋上なんてありましたっけ」
「あるよ。入れないけどね」
「どうやって……」
「壁をちょっと歩いて」
 やれやれとぴよらっとは頭を振った。
「あれは間違いなく学校の機械兵ね」
 客用のカップを両手で持ち、緑茶の湯気をくんくんと嗅いでいた部長がきっぱりと言った。
「分かるんですか?」
「あいつを印で支配した時に少しだけ情報を引き出せたの。襲撃を指示したのは『HCCPA-1』ってやつで、このHCCっていうのは学校のシステムのIDによく付けられてるんだ」
「便利な力だねえ」
 ゴルドは呑気に感心している。
「そもそも学校の敷地内にあんなものが侵入してきたら先生達が黙ってないよ。だからこの機械兵は学校側からの差し金と見て間違いないと思う」
「だろうね」
「でも、どうして学校のロボットがぼくたちを襲うんでしょう」
「そりゃあ……」
 ゴルドはチラッとぴよらっとを横目で見た。
「……桃子さん、ですかね。やっぱり」
 微妙な沈黙が霧のように空気に混ざった。
「……ごめんね。私が勝手な頼みごとをしたせいで、危険な目に遭わせちゃったんだよね」
「いやいや」
「そんなことはありませんよ」
 ゴルドとぴよらっとが同時に言うのを見て、部長はクスリと笑った。

「服ありがとうね、ゴルドくん。洗って返すね」
 寮の入り口、城壁をくり抜くトンネルのような通路まで、ぴよらっととゴルドは部長を見送りに出てきていた。
「差し上げますよ。良く似合っている。それと僕のことはゴルド卿と」
「あの、部長」
 ぴよらっとはゴルドのお決まりのセリフを遮って言った。
「今度のお休み、何か予定はありますか?」
「ん、特にないよ」
「では一緒に買い物に行きませんか?」
 ぴよらっとの突然の提案に、部長は少し驚いたように眉を上げた。
「だめになってしまった服を弁償させて欲しいんです」
 ぴよらっとがそう言うと、部長は得心がいったという風に笑った。
「なんだ、そんなこと気にしなくていいのに」
「気にします。部長が助けに来てくれなければ僕は大怪我をしていたかもしれないんです。どうかお礼をさせてください」
「そんな、そもそも私がキミを巻き込んだから」
「部長」
 それ以上言わないでくれとぴよらっとの瞳は訴えていた。
「さっきも言おうと思ったんですが、ぼくにとって、桃子さんと知り合えたことは何物にも代えがたい宝なんです。目的を共にする仲間もできました。全部、部長のおかげなんです」
 力強く、確信に満ちた声でぴよらっとは言った。部長はしばらく黙ってぴよらっとを見つめていたが、不意にふっと糸が弛むように笑った。
「わかった。それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな。……ついでにウチの部のあの子も連れてっていい?」
「あ、はい、もちろん構いません」
 あの子、というのが、歴史編纂部でいつも部長のそばにいる女の子の部員であることをぴよらっとはすぐに察した。彼女たちにも何か事情があるのかも知れない。
「そうだ、それなら桃子さんも誘ってみていいですか?」
 ぴよらっとはふと思い付いて言った。もう何年も図書館の外に出ていないという桃子を新しい景色の中に連れ出せば、事態が少しでも好転するのではないか。そんな淡い期待が彼の胸をよぎったのだった。
「そうだね……うん、みんなで行こうか」
 そう答えた部長の笑顔はどこか痛みを含んでいるようだった。
 彼女はまだ桃子に対して罪悪感を持っているのかも知れない。かつて桃子に救いの手を差し伸べることなく見捨ててしまったから。
 しかし、それでも部長は笑っていた。過去に苛まれながらも立ち止まらず、その痛みを明日へと繋げるための笑顔だった。
「みんなと言うからには、ゴルドさんも行きませんか。リリィさんと一緒に」
 ぴよらっとが水を向けると、ゴルドは意外そうな顔をした。
「いいのかい? ずいぶん大所帯になってしまうよ」
「どのみち桃子さんを図書館の外に連れ出すには、きっとリリィさんの力を借りなければいけないと思いますし。ミカさんも誘って、みんなで出かけましょう。きっと楽しいですよ」
「そうか……そうだな」
 ミカの名を聞いて、ゴルドは何か思う所があるようだった。
「それでは、次の休みに」
「ああ」
「大勢で買い物なんて久しぶり……」

 また、次の休日に。
 総勢七名の不思議な縁で出会った者たちが集い、他愛のない時間を過ごす休日。それはとても奇妙で、とても賑やかな、楽しいものになるだろう。

 だが、そんな日は、決して訪れることはなかった。