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携帯らっと
20



「それで」
 部長の背中が見えなくなってからゴルドは言った。
「帰ってきてから君がずっと気にしていたことはなんだい?」
「お見通しでしたか」
「友達だからね」
 当然のように言うゴルドにぴよらっとは少し目を細めてみせた。
「ミカさんのことです。あの日から姿を見せなくなってしまいましたが、確かミカさんもこの寮に住んでいるんでしたよね」
「ああ、そういえば前の世界ではそうだったと言っていたっけな」
「彼女に伝えたいことがあるんです。……今日、桃子さんが記憶を取り戻しました」
「……ふうん?」
 ゴルドは片眉を上げてぴよらっとを見た。
「それは……彼女が変化する以前の穴だらけになっていた記憶を、すっかり思い出したってことかい?」
「記憶がどの程度戻ったのかは分かりませんが、自分の状態を冷静に把握しているようでした」
「それを伝えても……いや、そうだな、君の思う通りにするといい。まずはミカの部屋がどこなのか調べないとな」
「はい。寮長さんに聞いても教えてくれないでしょうか」
「普通は無理だな。さっきの部長さんなら、ミカの携帯IDを知ってるんじゃあないか? 本人と連絡が取れれば一番早い」
「そうですね。僕も入部した時に部長と携帯のIDを交換しましたから、たぶん」
 ぴよらっとが自分の携帯端末を操作しようとした時、遠くで地響きのような音がした。寮の裏庭から奥へと進んだ先にある森の方角だった。普通の人間ならばよほど注意していなければ聞き取れないような音をぴよらっととゴルドははっきりと捉え、それが何を意味しているのかを直感的に理解して走り出していた。

 ぴよらっととゴルドが森の空き地に到着するのと、その反対側から二つの影が飛び出したのは、ほぼ同時だった。
 空き地の中心にはミカが立っていた。足下には夥しい量の鉄屑。
 ミカは二組の闖入者を左右の視界に捉え、見知った顔か否かを瞬時に判断すると、見知らぬ顔の方に向けて足下の鉄屑を蹴り飛ばした。かなりの速度で獲物に向かう鉄屑はしかし、キンという高い音とともに明後日の方向へ飛んでいった。
「待て待て、戦うつもりはない」
 木の影から姿を現したのは、背の高い男と小さな女の子だった。
「お、一人かと思ったら、当事者がもう一人いるじゃねーか。こりゃちょうどいい」
 ミカは眉間に皺を寄せて刀に手をかけた。
「だから誤解すんなって。いや、その誤解を解きに来たんだったか。とりあえず話をしようぜ」
 男は何とも言えぬ軽薄そうな笑みを浮かべた。褐色の肌。ギラギラした金髪を今時の若者ふうにセットしている。毎朝一時間は鏡の前で過ごすに違いない。くどいほど整った顔立ちにほどよく筋肉のついた体。ネクタイなしの黒いスーツがよく似合っていた。
「誰ですかあなた」
 ミカは臨戦態勢のまま冷たく言い放った。
「おいおい……俺の顔、分かんないの? マジで?」
 男は苦笑しながら大袈裟に腕を広げて見せた。ミカはチラリと伺うようにゴルドの方を見たが、ゴルドは無言で首を横に振った。ミカは再び不信感に満ちた目を男に向けた。
「知りません」
 しかしぴよらっとには心当たりがあったらしい。
「ミカさん、確かあの人は……」
「まあいいや」
 男は苦笑いを貼り付けたまま言った。
「俺は冬見晴一。お前らが通ってる学校の学長さんだよ。パンフとかネットにも写真載ってんだろ?」
 ミカはチラリとぴよらっとの顔を見た。ぴよらっとはうんうんと頷いている。隣でゴルドが「そうなんだ?」という顔をしていた。
「機械兵が私たちを始末できなかったから、学長が直々に出てきたという訳ですか」
 ミカは一触即発の雰囲気を纏いながら言った。
「だからそれが誤解なんだって。確かに、そこに転がってるやつらは俺の手駒だよ。それは認める。だがな、そいつらをけしかけたのは俺じゃねえ。俺は別にお前らを消そうなんて思ってねえの」
「……」
 ミカは黙って続きを促した。
「今回の件を全部仕切ってたのは、こいつだ」
 冬見は隣で人形のように押し黙っている少女の頭を軽く小突いた。少女は無反応だった。まばたきすらしない。
「こいつはHCCPA-1。独立型のシステムだ。アリサって名前を通してある。一応、ウチの統括システムのサポート役だが、実質的にはメインのHCC0-1と同格だ。むしろ自由に動けるぶん、こいつの方が能力は高いと言ってもいいのかも知れねえが……今回はそれが裏目に出た」
 冬見の顔から、わざとらしい笑みが消えた。くだけた話し方を保ってはいるが、明らかに声のトーンが変わっている。
「アリサには桃子ちゃんの身辺管理を一任していた。一日中目を離せねえ仕事だから人間より適任だったんでな。で、最近になってこいつはお前さんたちの存在を観測した。俺はその報告を受けたが、対象に危害を加えなければ放っておけと言った。これまでもそういうことがなかった訳じゃないからな。ところがこいつは独自にお前さんたちを観測し続けて、次第に危機感を募らせていったらしい。んで、今日。それが爆発した。俺の承認を偽装してまで機械兵を出動させてくれやがったって訳だ」
 冬見は冷たい視線をアリサに向けた。アリサは虚空を凝視したまま微動だにしない。
「……でもそれは全部あなたの責任ですよね」
 ミカは冷静に言い放った。アリサが学校のシステムである以上、彼女が行なったことの責任は全て学校の人間が背負うべきで、道具に罪はない。ミカの瞳はそう言いたげだった。
「確かに。その通りだ。こいつの暴走を止められなかったのも、その兆候に気付けなかったのも、全部俺のせいだ。だが、今回の件は俺の本意じゃないってことを先に伝えておきたかった」
「……」
 ミカは何も言わなかった。
「やっぱ信じらんねえかな……」
「ぼくは信じますよ」
 それまで後ろで事の成り行きを見守っていたぴよらっとが言った。
「でも一つ気になることがあります。どうしてアリサさんはそこまで思い詰めてしまったんでしょう? これまでも似たようなことはあったんですよね?」
 ぴよらっとの問いを受けて、冬見はアリサを見やった。
「……だとよ。答えろ」
 その言葉がスイッチだったのか、アリサの虚ろな瞳に光が宿った。
「感情プログラムの不具合によるものと思われます」
 小さな口から紡ぎ出される合成音声は、見た目通りに幼いながらも、よく響く透き通った声だった。
「私は監視を続けるうちに物江桃子に対して親愛に似た感情を覚えるようになりました。そして、あなたたちの出現はこの感情を強く揺さぶるものでした。マスターを欺き無警告であなたたちを排除するという、本来であれば検討するまでもない選択肢を感情プログラムが後押ししたため、判断系統に混乱が起き、これに抵抗し切れなかったものと思われます」
「……早い話が、嫉妬だ」
 冬見は苦い声を出した。
「今回みたいな業務に感情プログラムは最悪の組み合わせだってのに、それを抜き忘れてたことに何年も気付かなかった。これも完全にこっちのミスだ」
 その言葉は重く沈んでいたものの、やや不自然な歯切れの悪さがあった。
 アリサは桃子の監視につく前も学校の中核を担うシステムとして働いていたのだから、その時点で感情プログラムはある程度の経験を積み、成長していた筈だ。もしかしたら学長は、子供が学習するように少しずつ育ってきたアリサの感情を、一時的にせよ消してしまうことに抵抗があったのではないだろうか。つまりアリサを監視業務につかせる時に、あえて感情プログラムを抜かなかったのでは……。
 ぴよらっとは学長とアリサが並んで立っている姿を見ながら、そんなことを思った。
「学長は桃子さんのお父様から頼まれて、その、桃子さんの監視を?」
 これ以上は過ぎた詮索になる。そう判断したぴよらっとは、話題を変えるように続けて質問をした。
「あー……まあ身辺の管理っつっても実質的には監視だよな……。イズミは昔からの馴染みで、桃子ちゃんが小さい頃はよく一緒に遊んでやってたんだ。それがこんなことになっちまって……とにかく俺にできることはないかって、全面的に協力を申し出たんだよ」
「では学長は桃子さんがどういう状態なのか御存知だったんですね」
「まあな。だから人を遠ざける仕掛けを図書館に施したり、あの子に強い権限を与えたりした。ただ、最終的にどうなっちまうのか、具体的なことはお前さんたちの会話記録を聞くまで分からなかったけどな」
「会話記録?」
「図書館でそこのお嬢さんが話してただろ。信じられねえけど時間をループしてるとか」
「……ループじゃありません。この世界によく似た別の世界を経験してきただけです」
 そっぽを向いてミカが言った。
「まあ同じようなもんだろ。お前は俺とイズミしか知らない筈のことを知っていたし、イズミに聞いたらそんな子は知らないっつーし……」
「あの、図書館の監視カメラは音は入らないのでは?」
 ぴよらっとは、以前桃子がカメラについて話してくれたことを思い出していた。映像は一週間分だけ保存され、音声は入らない。ぴよらっと自身も一度だけ操作した時にそれを確かめている。
「ん? 入るぜ。ただ図書館の端末にはいろいろ制限がかかってるってだけ。メインへの直通ラインがあるから……っていけね、これ極秘事項だった。お前ら誰にも言うなよ」
 口ではそう言いながら、冬見は平気な顔で金髪に指を通している。
「話が脱線したが、ついでに言っておくか。お前さんたちが言ってたことを俺は全面的に信じることにした。だからな、タイムリミットとやらの、少なくともその三日前には桃子ちゃんを別の場所に移動させるつもりだ」
 冬見はまるで天気の話でもするように、さらりと言った。
「別の場所って……」
「この世界の淵だ」
「見殺しにするつもりですか」
「他にいい案があれば教えて欲しいくらいだぜ」
 冬見は険しい表情で赤い月を見上げた。
「言っておくが、既にイズミにも了承をとってあるからな。あいつは最初から、桃子ちゃんが手遅れになった時は自分の手で始末をつける気でいた。まあお前さんたちの話じゃ返り討ちに合っちまうってことだが……イズミに無理なら俺にも無理だ。学生を危険に晒す訳にはいかねえ。他に手はねーんだよ」
 吐き捨てるように冬見は言った。彼は親友と共に桃子の成長を我が子のように見守ってきたのだ。見殺しにしたいなどと、思う筈もなかった。しかし、結末は最初から見えていたのかも知れない。体が半分死んでいるのになぜ起き上がることができるのか。なぜ普通に活動できるのか。彼女が未だに人間として生きている現状が既に奇跡のようなものだったのだ。その上で、更に奇跡を願うなど、冬見にはできなかった。
「手は、必ずあります。必ず見つけ出してみせます」
 冬見の葛藤を見抜いたかのように、ぴよらっとはきっぱりと告げた。冬見は一瞬だけ、暗闇の中で光を見つけたかのような表情になったが、すぐにその顔を苦笑いへと変えた。
「そうか。頑張って見つけてくれることを俺も祈ってるぜ」
 冬見は三人の学生に背を向けて、最後に付け足すように呟いた。
「今日はすまなかった。誰も死ななくてよかった」
 そうして、冬見とアリサは暗闇の中に消えていった。


 冬見はアリサを通じて、機械兵が全滅したことを知っていた。リリィという少女も恐らく無事だろう。しかし、百もの機械兵を全滅させたということは、彼女は本当にヴァンパイアエルダーなのかも知れない。そんな力がこの世界にあるというのは、あまりにも危険なことなのではないだろうか。
 冬見は念のためアリサから聞き出したリリィの襲撃地点まで足を運んだが、広範囲にわたって茶色く掘り起こされた地面の上に細かい金属片が銀の絨毯のごとく堆積しているだけで、人影はなかった。

 冬見が学校の地下深くにある管理室に戻ったのは、時計の針が日付を跨ごうかという頃合いだった。
 今日一日で一ヶ月分も蓄積されたかのような精神的疲労を感じつつ重い扉を開けると、暗い部屋の中に、ぼんやりと光るモニターに照らされた小さな少女の姿が浮かび上がった。ちょこんと机の上に腰掛けたその少女は、冬見の姿を見て薄く微笑んだ。
 普段であれば自動で照明が点く筈の部屋がなぜか暗いままであることも忘れて、冬見は目の前の少女を注意深く観察した。背格好から見て一瞬アリサかと思ったが、そうではない。彼女は今も彼の後ろにいる。それに、アリサはこんな風に柔らかく笑うことはできない。
「ちょっと止めさせて頂きましたわ。人工の灯はあまり好きじゃありませんの」
 少女の声を聞いて、冬見はようやくその正体に気付いた。
「ああ、あんたがリリィか」
 冬見は事前に図書館の記録映像を確認していたが、そこに映っていたのは桃子とミカとぴよらっとだけだった。後は、不明瞭な黒い靄が二体。しかし声はしっかり録音されていたので、それらがリリィとゴルドと呼ばれていることが分かった。ヴァンパイアは似顔絵以外で自分の顔を見ることはできない。写真も、映像も、例外ではないのだ。
「こんな可愛らしいお嬢様だとは思わなかったぜ」
 冬見はかろうじて軽口を叩くことができた。見た目こそ幼いが、目の前の少女が発しているプレッシャーは強烈で、一秒ごとに体力を削られるほどだった。
「私、今日は下らないお喋りに付き合う気はありませんの」
 微笑をたたえたままの淡々とした言葉は、かえってその内側に秘められた怒気を際立たせているかのように見えた。
「どうして私がここにいるのか、お分かりですわね?」
「あー、あんたにも詫びに行こうと思ってたんだけど……」
 ピシッと、家鳴りのような音が鋭く響いた。冬見が靴の裏に違和感を感じて足を上げると、床のタイルに真一文字のヒビが入っていた。
 さっきまで冬見は一瞬足りともリリィから目を離さなかった。彼女が何かの力を使おうとすれば、それがどんな些細な兆候であれ見逃す筈はなかった。だが、気付いた時にはタイルが割れていた。しかも自分の足の真下にあったタイルが。最初から仕掛けがしてあったとは思えないし、魔術ではなく科学的な装置を使ったのならば、後ろのアリサが動いていた筈だ。
 格が違う。
 一瞬にして冬見は彼我の力の差を感じ取った。
「……すまなかった。今日のことは完全にこっちの過失だ。許して欲しい」
 冬見は、何年か振りに他人に頭を下げた。意外なことに屈辱は感じなかった。そんなものを感じている余裕はなかった。
「私ね、あの子たちのこと、とても気に入ってますの」
 おそるおそる冬見が顔を上げると、いつの間にかリリィの表情からは微笑が消え去り、ただ二つの赤い瞳だけが闇に輝いていた。
「どうしてあの子たちにも同じようにできなかったのかしら……」
 もう肌寒い時期だというのに、冬見の顎先からぽたりと汗が流れ落ちた。
「……後日、改めて詫びに行こうと思っていたんだ」
「……」
 苦しい言い訳だった。実際、冬見はミカたちのことを軽く見ていた。仮に彼女たちが死んでいたとしても、その時は事実を隠蔽する気でさえいた。襲撃をしのいだ彼女たちから報復を受ける可能性もあったが、学生が学長に手を出すことのリスクはそう軽いものではないし、また、訓練中の学生程度に自分が遅れを取ることはないという自負があった。
 しかし、例外というものはどんな所にでもあるものだ。冬見は、数日前から学校に入り込んでいた例外的存在に対して、あまりに無頓着すぎた。彼女には、地位や権力といったものは一切通用しない。そして彼女は、人の限界を超えた経験と力を有しているのだ。
 冬見は今更ながらに自分の楽観的思考を悔やんだ。
「まあ、結果的には誰も傷付かずに済んだからよかったのですけれど」
 思いがけないリリィの言葉に、冬見の緊張が一瞬緩んだ。その緩んだ心に突如、鋼鉄の鳥が飛び立つような音と、やや遅れて木の置物が倒れるような音が飛び込んできた。音はいずれも背後からだった。冬見が振り向くと、アリサが床に倒れ伏していた。アリサは、首、胸、下腹部の三ヶ所で斬り分けられていた。首から上はどこにもなかった。断面からゆっくりと循環液が流れ出し、床を濡らしていた。
「とは言え……」
 リリィの声に冬見は我を取り戻し、慌てて振り向いた。
「一歩間違えれば、あなたは私の大切な人たちを死なせていたかも知れない。本来ならあなたの命で償っていただくところですけど、今回は特別にこれで勘弁して差し上げますわ」
 リリィの手にはアリサの頭部が乗っていた。
「道具に罪はありませんけど……壊れた道具は捨ててしまわなければ怪我の元になりますからね」
 アリサの頭部は幻想的な燐光を発しながら小さな粒子に変換され、リリィの手からサラサラとこぼれ落ちていく。胴体部にも同様の現象が起きていたが、冬見には背後に気を配る余裕などなかった。
 約二十秒間の緩慢な死を見せつけてから、リリィは闇に溶けるようにして姿を消した。

 アリサの記録は定期的に保存されていた。だから新しく素体を組み直し、データを移してやれば、アリサは簡単に生き返ることができる。
 だが、そうして生き返ったアリサは、もうオリジナルのアリサではないのだ。他人にとっては同じかも知れない。同じ記憶を持つ、同じ規格の体なのだから。しかし、少なくとも冬見にとっては違った。自分と同じ記憶を持つクローンが現れたとしてもそれは限りなく他人であるのと同じように。
 リリィは冬見の心を喰い、その大切な部分だけをピンポイントで壊したのだった。

 冬見は薄暗い部屋に立ち尽くしていた。肌寒い空気の中に、低い駆動音だけが鳴り響いていた。