「君はこのエスカレーターの手すりのようだな」  先輩は言った。 「はあ。どういう意味ですか?」 「手を乗せてみるといい」  そう言って先輩はぼくを抱き上げた。ぼくは言われた通りにする。 「どうだ、少しずつ先に行ってしまうだろう」 「そうですね」 「一見すると同じ速度で進んでいるようだが、君はこの手すりのように私を置いていってしまうんだ」  ぼくを抱く先輩の手に、ぎゅっと力がこもる。 「先輩、苦しいです」 「うるさい。私の方が苦しいんだ」  エスカレーターは上り続ける。ぼくは先に行きたがる手を引き寄せた。 「手すりは先輩ですよ」  耳の後ろに先輩の髪がぐりぐりと押しあてられる。 「ぼくが先輩を置いていくわけないじゃないですか」 「私だって同じだ」  透明な壁の向こうに海が見えた。波の音まで聞こえてきそうだ。 「同じことを思っているのに」  ぼくはちょっと先輩の方を振り向いた。先輩も遠くなる海を見ているようだった。 「どうしてなんでしょうね」 「大抵の現実は個人の想いより強いんだ」  ぼくは前を向いて、先輩の頭をそっと耳で撫でた。くふふ、と、こもった笑い声。 「ぼくはただ先輩のいる場所に追い付きたかっただけなんです」 「君はすごいやつだよ」 「先輩」 「私にだってプライドはある」 「だからぼくは」 「ぴよらっと」 「はい」 「時間だ」