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異世界転移したら物騒なソシャゲのチュートリアルが始まった件 Side-E





プロローグ


 まあ私も人生色々あってこれはもうどうにかせねばなるまいと行動に移したところ大失敗、あーダメこれは死ぬわと思っていたらなんやかんやあって気付くとよくある漫画みたいな感じで異世界に飛んでいた。


第零章:毛玉との出会いとその他もろもろ


「ありがとうメポー! 君のおかげ助かったメポ!」
 白いフワフワした毛玉のような奴が親しげに話しかけている。後ろを振り返ってみても誰もいないので、どうやら私に言っているらしい。
「メポは、メッポルだメポ! 助けてくれてありがとうメポ!」
 私が無言で凝視していると、毛玉は勝手に自己紹介を始めた。
 ちなみにどうでもいいことだがここは深い森の中で、目の前には邪神像がある。あった。ちょっと寄りかかったら倒れて砕け散ってしまったので今はただの石塊であるとも言える。
「君がメポの封印を解いてくれたメポ! お礼がしたいメポ!」
 やたら甲高い声で毛玉が喚く。精神に響いて鬱陶しいことこの上ない。
「君の力を引き出してあげるメポ!」
 虫を叩き落とすのに使えそうな棒か何かを探していると、毛玉はそんなことを言い出した。
 チカラ? 力だって? そうだ、力だ。力があれば私はあんな惨めなことにはならなかった。死んだと思ったら漫画みたいに変な世界にいたのだから、漫画みたいな変な力が手に入ってもおかしくはない。
「詳しく」
「おっ、やっと反応したメポね! そんなに力が〜〜〜? 欲しいメポ?」
 返事を貰えたのがよほど嬉しいのか、調子づいた声で軽く煽ってきた。こいつは必ず殺そう。だが今は我慢だ。
「欲しい」
「じゃああげちゃうメポ! 早速このくじを引くメポ!」
 毛玉はどこから取り出したのか、コンビニによくあるようなチープなくじ引きの箱を差し出してきた。ノータイムで手を差し込んで最初に触れた紙片を取り出す。
「決断早いメポね……どれどれ、君の力は〜?」
 三角形のくじを開いて、毛玉が沈黙する。どうでもいいけどコイツさっき私の力を引き出すって言わなかったっけ? くじ引きってランダム過ぎない?
「えー……『食べるとつよくなる』…………チッ、外れメポ」
 今外れって言ったぞ。今すぐ絞め殺してやりたいが、ここは聞かなかったことにしておこう。……食べるとつよくなるって何。お菓子?
「……どうなったの?」
「えーと……君の能力は、『食べるとつよくなる』メポ。いっぱい食べて強くなろうメポ!」
「どういうこと?」
「この力を使いこなすためには契約が必要メポ! まずは君の名前を教えてメポ!」
 すごい、完全に無視された。いっそ清々しいくらいだ。
「飯田E太」
「メポプフーッ! 変な名前メポー! E太プー!」
 私は白い毛玉に思い切り拳を叩き込んだ。……つもりだったのだが、拳は虚しく空を切る。
「メッポルは非実在的存在メポ! 叩こうとしても無駄メポー!」
 確かに変な名前だと自分でも思う。だがこんな名前を付けた馬鹿共は既に殺した。私は自分への戒めとしてこの名を名乗り続けようと決めたのだ。
「お前をいつか必ずころすとここに誓う」
「とりあえず契約は完了メポ。まあそれはともかくとして、まずは体をこの世界に慣らすためのチュートリアルメポ!」
 どうやらこの毛玉は私の力のことを完全にスルーするつもりらしい。外れって言ってたしな……。
「ねえ、何か急にものすごくお腹空いてきたんだけど」
「それじゃあどうぶつを焼くメポ!」
「焼くって何」
「この『炎のオーブ』を貸してあげるメポ! お試しでなんと無料メポ!」
 毛玉からビー玉のような赤い玉を受け取った。ネーミング的に考えてこれは炎の魔法か何かを出す課金アイテム的なものらしい。普段は金を取るのか。
「それでは行ってみるメポ!」
 毛玉は懐から笛のようなものを取り出すと、思い切り吹き散らかした。うるせえ。
「……うるさいんだけど」
「ほら、来たメポ!」
 毛玉の言う方を見ると、茂みの中から巨大な獣が姿を現した。
 二足歩行にもかかわらず地面に着くほど長い腕。その先端に備わった鉤爪は太く硬質だ。眼はギョロリと大きく、口には鋸のように鋭い牙が並び、チロチロと紫色の舌が見え隠れする。全身を金属光沢のある鱗が覆い、その表面は湿っているように見えた。
「この森の主、リザードマンメポ! 『紅蓮の炎よ』メポ! さあ早く! 脳を! 脳を焼くメポ!」
「何言ってんの」
 ハアハアと興奮しきった様子の毛玉の声が本気で気持ち悪く、それと同時に目の前の怪物のシューシュー言う警戒音が本気でヤバいと私に知らせて来てもう最悪の気分だ。
「SHAAAAAAAA!!!」
 リザードマンの長い腕がしなったかと思うと、私は水平に吹っ飛んでいた。飛んだ先で太い樹の幹に叩きつけられてツーヒットコンボだ。頭がぐらんぐらんする。
 幸い、リザードマンの爪は私が肩から下げていた鞄をえぐったらしく、その中身をばら撒いただけで私が受けたダメージはそれほどでもない。
 幸運は三度起きるものだ。
 一度目の幸運が致命傷を避けられたことだったとしたら、二度目の幸運は、リザードマンが鞄からこぼれ落ちたモノに興味を示して動きを止めたことだ。
 そして三度目の幸運は飛来する矢となり、リザードマンの側頭部を貫いた。
「危なかったな、お嬢ちゃん! リザードマンに襲われるなんてなあ!」
 ドウと倒れるリザードマンの向こうにいたのは、弓を背負い直し、豪快に笑いながら近づいてくる筋骨隆々の男。
 どうやら私は助かったらしい。
 それが、私の命を救った男、テムダとの出会いだった。


第一章:はじまり


「俺はヤッカムッカのテムダ。狩猟頭を任されている」
「……私はE太」
「イータか。ここらじゃ聞かない感じの名前だが、どこから来たんだ?」
 テムダはリザードマンの死体を手際よく解体しながら聞いてきた。
 白い毛玉野郎はいつの間にか姿を消してしまっている。
「戸越」
「トゴシ? 聞いたことのない村だな……しかし君みたいな若い女の子が、武器の一つも持たずにこんな森にいるなんて危険過ぎるぞ」
「私もそう思う」
「ハハハ! だがリザードマンに襲われて五体満足でいられるとは運がいい。どれ、念のため治癒魔法をかけてやろう」
 テムダがこちらに向けて手をかざすと、胸のあたりに感じていた鈍痛が消えた。こんな無骨なナリをしているのに魔法まで使えるのか……まるで勇者だ。
「……ありがとう」
「気にするな、君のおかげで主を狩れたんだ。こいつは残忍で凶暴だがずる賢くてなあ、力の強い者が近付くとすぐに逃げてしまうんだ。さっきはこっちに気付く様子もなかったし、動きが止まっていたから楽な仕事だった」
 雑談をしているうちに、リザードマンはすっかりテムダの背嚢の中に収まってしまった。
「良かったらヤッカムッカに来ないか。腹も減っているだろう」
「超減ってます」
「ハハハ! だと思ったよ!」
 ……お腹、そんなに大きな音が鳴っていたかな?

◆ ◆ ◆

「おお……すごい食うな……」
 数時間後、ヤッカムッカの村では森の主を仕留めたことを祝して大宴会が開かれていた。
 私はテムダの隣でリザードマンの肉をひたすら腹に収める作業に没頭している。
 肉はただ焼いただけのように見えて、実は熾き火を使って絶妙な加減の火を通してあり、まるで生のような肉汁が溢れ出る。味付けは塩だけとシンプルだが、しかし鶏肉と獣肉を合わせたような、少し魚の脂の甘さを感じるような、今までに食べたことのない肉の味わいに手が止まらなかった。
「いいことだ! 若者はたくさん食わなくっちゃな!」
 テムダは豪快に笑うとぐっと盃をあおった。
「ところでイータは成人しているのか?」
「…………してる」
「おっ、やっぱりそうか! いやなに、ちょっと前に年齢に見た目が追いつかない種族というものに会ったことがあってな。君もそのクチじゃないかと思ったんだ! そうとなればほれ、飲め飲め!」
 ガハハと笑うとテムダは私に大きな盃を寄越してきた。なみなみと注がれた液体はコーラのように真っ黒で、ふわりと芳醇な果実の匂いが漂う。一口飲むと、予想外の強い酸味が舌の上を走り、しかし一瞬後には全く残らずスッと消える。口の中がさっぱりとして、肉を取る手が無限に加速してしまいそうだった。
 ……まあ世界が違うんだから、この際法律とかは些細な問題だろう。

◆ ◆ ◆

「メポー! 無事人里に辿りついたメポね!」
 食事を終え、用意されていた寝床に潜り込んで少しうとうとしたかと思うと、もう空が明るくなっていた。自分でも気付かないうちにかなり疲れていたらしい。
「君は運がいいメポ! 見事あの勇者テムダに取り入ったメポ!」
 キンキンと甲高い声が精神に障る。無視を決め込んで二度寝をしようとしても、空気を読まない毛玉はブンブン飛び回りながら話しかけてくる。
「今すぐ死んでくれ〜」
「でもでも、なんだか都合が良すぎると思わないメポ? 見ず知らずの人間にここまでしてくれるって、よく考えたら異常じゃないメポ?」
「親切ポイントでも貯めてるんじゃないの……」
「そう! 実はこの村、邪神を崇拝する邪教徒の村なんだメポ!」
 この毛玉はマジで話を聞くつもりがないらしい。黙っていても適当にあしらっても話し続けるので、私は仕方なく起きることにした。
「私別にこの世界の出身じゃないから邪教も正教も超どうでもいいんだけど……」
「メッポルは奴らに捕まって、あの石像に閉じ込められていたメポ。奴らは危険メポ! 君を生贄に捧げて、なんやかんやの邪悪な儀式をやるつもりメポ!」
「生贄にするつもりならこんな自由にしとかないでしょ」
 そう、用意された寝床はちょっとした倉庫の体裁を整えたようなつくりになっている。当然鍵はかかっていないし、普通に出入りできそうな窓もある。私がその気になれば昨晩のうちに逃げ出せただろう。
「それが奴らのやり口メポ……ほら、見張り役の人間が来たメポ!」
 毛玉がフッと空中に掻き消えると同時に、コンコンと扉が叩かれた。
「おはようございます。朝食の用意ができましたが、お目覚めでしょうか……?」
 幼さの残るオドオドとした声。脅威はないだろうと判断して扉を開けると、そこには若い男が立っていた。
「あ、どうも……兄はもう狩りに出てしまいましたので、代わりに僕があなたのお世話をするようにとのことで……」
「兄?」
「ああ、僕はテムダの弟です。セトフノといいます……一応昨晩もご挨拶させて頂いたんですけど……」
 全く覚えがない。肉を食っていたからだろう。
 しかし言われてみれば、あの豪快な男にどことなく似ていなくもない。全体的に細いが、程々に筋肉がついていてバランスがいい。
「そうですか。それはどうも」
「えっと……朝食なんですけど……どうしますか?」
「いただきます」
 昨日あれだけ食べたというのに、既に空腹はMAXだった。今ならなんでも食べられるぞ。


第一章:ステージ壱 ヤッカムッカ


 数時間後。……ああ、数時間もかかってしまった。
 獲物を生きた状態から捌いて調理するところまで自分でやったのだから仕方がない。しかしその甲斐あって、目の前には豪華(自画自賛)な料理が湯気を立てて並んでいた。
 まずはバーベキュー……のような、何か串に肉と野菜を刺して焼いたやつ。タレはその辺にあった調味料を適当に使った。これがやたらスパイシーで美味しい。新鮮な肉はそれだけでうまい。
 苦労して腸詰めも作ってみた。肉と内臓を細かく潰して混ぜてみたところこれが大当たりで美味しい。血のソーセージというのも作ってみたがこっちは失敗。完全に血だけでやったのがまずかったか。でも食べる。
 次に、漫画で見ていつかやってみたかった脳のフライ。薄くスライスした脳にパン粉をつけて油で揚げる。外はサクサク、中はトロトロで美味しい。
 その他、煮物に燻製、スープ、刺し身と、私が知り得るバリエーションをひと通り試してみた。全身を余すところ無く使い、無駄のないように。
「ずいぶん豪華メポね〜」
「お腹空いたから」
「やっぱり朝食だけじゃ足りなかったメポ?」
「足りないよ。これ絶対あんたのせいでしょ」
「メッポルにはちょっと分からないメポね。それにしても……勇者の弟のフルコースとは、メッポル的にはかなりポイント高いメポ! 小娘のくせにこんなに手際よく料理ができるとは思わなかったメポ〜」
「……まあ、慣れてるし」
 さり気なく小娘呼ばわりしてくるなこの毛玉は……しかし今は機嫌がいいので許す。
 適当に借りた一軒家の周りには雑草が生い茂っており、解体した獲物以外の血がポタポタと滴っていた。あいつらは別に食べる必要はない。
「お腹が膨れたら、さっそくチュートリアルの続きだメポ!」
「まだやるの?」
「まだもなにも、君は最初のチュートリアルをクリア出来てないメポ! そんなんじゃ力を使いこなせないメポよ!」
「何をすればいいの」
「この邪教徒の村を焼き払うメポ!」
 唐突にすごいことを言い出すなこの毛玉は……。
「一応聞くけど、なんで?」
「奴らは邪神の〜」
「そういうのはどうでもいいから」
「あ、そうメポ? じゃあ忘れていいメポ! とりあえず焼くと強くなれるメポよ!」
「……それだけ?」
「それだけメポ」
「やるわ」
 強くなれるならそれでいい。意味や理由なんかはどうでもいい。私はただ力が欲しいだけなのだ。
「話が早くて助かるメポ! ではさっそくこの地図を見るメポ!」
 毛玉が空中に地図を描き出す。
 中央に緑色の点、周りに赤色の点がポツポツと見えた。
「この緑色の点が君とメッポル、赤色の点が邪教徒メポ。この赤色の点を全部焼き払えばクリアメポ!」
「焼かないとダメなの? 焼くの好き過ぎない?」
「一応チュートリアルなので焼いて欲しいメポ……ほら、『炎のオーブ』貸してやるメポ! 今回はこれを十個まで使っていいから、うまいこと全焼させるメポ!」
「ああ、それなら……」
 と、私はポケットからビー玉みたいに小さい『炎のオーブ』を取り出した。リザードマンの時に貰ったものの、結局使う暇がなかったのだった。
「あーもちろんそれも使っていいメポよ。ただ全部使ってもダメだったら……」
 毛玉が何か言っていたが、私は無視して『炎のオーブ』を飲み込んだ。
「ちょっ! ななな何してるメポ! ペッしなさい! ペッ!」
 かあっと全身が熱くなる。目の前がチカチカと光り、体中の汗腺が開いたかのような感覚が襲う。
 しかしそれも一瞬のこと。
 まるで何もなかったように、熱も目のチカチカも収まった。
「……なんだ、思ってたより、なんてことない」
「あっっっぶないメポ! 一歩間違えたら死んでたメポ! アホ!」
「アホはお前だ毛玉」
 死ぬことはない、と踏んでいた。
 私の力は『食べるとつよくなる』。異様に空腹を覚えるのも、どれだけ食べても排泄しないのも、きっとこの力のせいだ。恐らく、何を食べても死ぬことはない。
 しかし念には念を入れて保険もかけておいた。勇者の弟。その血統が確かなら、ちょっとした回復魔法も使えるはずだと……思ったんだけど、実際はほとんどパッシブスキルのような、自然治癒力が高い程度だった。まあ、それだけが目的ではないので別に構わない。
「もうその課金アイテムは必要ない。この村の地図も頭に入った」
「メッポッポッポ……これは頼もしいメポ。ただし! テムダが狩りから帰ってくる前に片付けるメポ! 奴は勇者……特別に強いメポ!」
「知ってる」
 そう。私はもう知っている。彼がどれほど強いのか。どんな風にこの村で育ち、生きてきたのか。

◆ ◆ ◆

 丘の上から見下ろす村は、隙間なく完全に炎に囲まれていた。その包囲網は徐々に狭まり、今やその中心に逃れても熱で蒸し焼きにされるのは時間の問題だろう。
 川へと通じる道は真っ先に炎で塞いだ。周囲から同時に火の手が上がれば、ひとまずその外に逃げるという考えは消える。どこにも逃げ場がないと気付いた時には手遅れだ。
「いいメポね〜。どんどん『ソウル』が貯まっていくメポよ」
「なにそれ」
「平たく言えばメッポルたちの通貨メポ。邪教徒を倒すと貯まっていって、『炎のオーブ』みたいな便利アイテムと交換できるメポ」
「ふーん……じゃあ何か買おうかな」
「……今はダメメポ」
「なんで」
「チュートリアル中メポ。それに……その『炎のオーブ』みたいに無限に量産されたら商売上がったりメポ」
 毛玉は不機嫌そうに言った。
 『炎のオーブ』を食べた私は、炎を操れるようになるとか、発火能力が発現するとかいった格好いいことは一切なく、ただ単純に、『炎のオーブ』を自分の体から生み出せるようになったのだった。
 さすがに無限にアイテムを生み出す、という訳にはいかない。出した分以上に大量に食べなければならないのだ。これが地味に大変だった。
「まったく……ルール違反メポ。マジックアイテムの価格を調整しないといけなくなったメポ。面倒くさいメポ」
「あんたがくれた能力でしょ」
「はぁ……そうメポね……そっちの調整も必要メポ……まったくとんだ疫病神メポ」
 本当に勝手なことを言ってくれる。
「おっ……見るメポ。狩りに出ていた連中が帰ってくるメポ。たぶん煙を見て急いで戻ってきたメポね……勇者だけ突出していて、他の連中はかなり後ろに固まって移動しているメポ」
「都合がいい」
「メポ。短期決戦メポね。奴を倒せたらボーナスポイント進呈メポ」
 またこの毛玉は適当な事を言っている……だがまあ、その意見には賛成だ。
 村から適当に奪ってきた金目の物や食料を丘の洞窟に隠すと、私は最低限の荷物を詰め込んだ袋を背負って走り出した。


第一章:ステージ壱 テムダ(前)


「おお、イータ! 無事だったか!」
 猛牛のような勢いで走ってきたテムダは、私の姿を見ると砂埃を上げて立ち止まった。
「煙が見えたので急いで引き返してきたんだが、村は!? どこが燃えている!? 皆は無事なのか!?」
「分からない……散歩していたら急に火が……勢いが強くて近付けなくて……」
「むう、とにかく君だけでも無事で良かった。俺は急いで村に戻る! 危険だから君はここでじっとしていてくれ! 後から仲間が合流する!」
「待って!」
 言うが早いか駆け出そうとするテムダを引き止める。一度距離が開いてしまったら、私の脚では追いつけない。
「ひとりにしないで……」
「そうか、怖かったな……だが……ううむ、連れて行く訳には……」
 逡巡するテムダの背中に、すがるようにして距離を詰める。
 彼我の圧倒的な戦力差を埋めるには不意打ちしかない。チャンスは一度きりだ。だが、例え刃物を使った所で、背中から分厚い筋肉を貫き、骨を避け、正確に心臓を突き刺すことができるだろうか?
 体格差。私の位置からでは、下方から突き上げる形になる。背負われた弓と矢筒が邪魔だ。賭けるには、分が悪い。
 ならばどうするか?
 心臓がダメならば、狙うべき場所は一つだ。首。首を落とす。
 心臓よりも高い位置にある首を落とす? 普通に考えれば不可能だ。だが、今の私にはできる。
 頭の中のスイッチを切り替える。メキメキと、肉体が組み変わる感覚。
 半身にして隠した右腕が変化していく。それは地面にまで届いてなお余るほどに長く。その皮膚は鉛色に変色し、表面に頑強な鱗を形成する。爪がギチギチと伸び、太く鋭い凶器へと変わる。肩から首筋、顔の右側にまで、徐々に鱗が侵蝕していく。
 力が、漲る。
 テムダが完全にこちらに背を向けているのを確認し、弧を描くようにして腕を振るった。
 しなやかな筋肉と遠心力が強烈な破壊力を生み出す感覚。これなら、いける。
 次の瞬間、弓と矢筒が宙を飛び、近くの樹の枝に引っかかった。
 外した……いや、避けられた?
 風切音を聞いてから反応した? そんなことが可能なのか?
 だが現実は非情なまでに間違いなくそこにある。爪はテムダの肩と背の肉を少し抉り、背負っていた弓と矢筒を吹き飛ばしただけだった。
 死が一歩迫る。追撃しなければ。
 しかし、こちらに向けられたテムダの瞳を直視した体は、勝手に後方へと距離をとっていた。
 まるで銃口を向けられたかのような恐怖。あれが狩人の、勇者の、威圧感。
「その腕はリザードマンの……まさか君は悪魔憑きだったのか……?」
「た……助けて……」
「! まだ意識はあるのか……おい、イータ! 聞こえるか!」
 助かった。ギリギリのところで命をつないだ。テムダは勇者というだけあって正義感が強い。悪魔に操られている罪のない少女が相手ならば、下手に攻撃はできないはず。
 問題はここからどう動くかだ。一つでも選択を間違えれば即、終わりだろう。
「……いや……そうか……ああ、そういうことか。今、納得がいった」
 突然空気が変わった。テムダは何かに気付いた様子で、こちらに警戒の目を向けている。何故? まだ何もしていないのに……
「イータ。君がリザードマンに襲われていた時、あの場所に散らばっていたモノについて、君は何も知らないと言ったな」
 何を言っている……? 私がリザードマンに襲われていた時……?
「俺もそれはリザードマンの仕業だと思い込んでいた。だが今にして思えば、妙な点が多かった」
 ああ、そうか……あの時、リザードマンの爪が私の鞄を引き裂いて、中身が、こぼれ出てしまったのだ。そのおかげでリザードマンの興味をそらすことが出来たのだが……
「あそこに散らばっていた人間の手足は、あまりに出血が少なかった。バラバラにされてから何日も経過しているかのように」
 そうだ。あの手足は、私がこの世界に持ち込んだもの。
「つまりアレは……君が」
 そう、あれは私が。
「殺したんだ」
 殺した両親の欠片だ。

第一章:ステージ壱 テムダ(後)

 フッと笑みが漏れた。
 過去は私を救いもするし、殺しもする。それなら、どう足掻いたところで今が過去になるならば、何をしても同じなのではないか。
「あなたの、その、背中の傷」
「何……?」
 声を出す。話しかける。そうしなければ今すぐにでも、私は殺されてしまうだろうから。
「弟さんをかばったんだってね」
 傷など見えなかった。それでも、私の記憶の中では間違いなくその傷が見えている。
「優秀な兄を見返そうとして、一人で勝手に森に入って獣に襲われて、自分も左腕に大きな傷を負ったけど、兄はもっと大きな傷を背中に負ってしまった。弟さん……セトフノは、それをずっと後悔していた」
「アイツがそう言っていたのか」
「誰にも言わなかった。でも、ずっと悩んでいた。自分は勇者にはなれない。兄のように強くなれない」
「アイツには君のことを頼んでおいたはずだ。……セトフノは今どこにいる」
「……今、教えてあげる」
 私は背負っていた袋の中から、布に巻かれた筒状のものを取り出すと、テムダに向けて放り投げた。
 彼にも予感があったのだろう。最悪の予感が。
 テムダは用心深くそれを掴み取ると、ゆっくりと布を剥がしていく。
 その時、確かに彼は見たはずだった。大きな傷跡が残る、左腕を。
「『紅蓮の炎よ』」
 次の瞬間、テムダの持つ肉塊が爆ぜ、彼もろともその周囲を豪炎が包んだ。
 これが私の切り札。警戒されていたとしても、セトフノの名を出せば必ず受け取ると信じていた。切断面に炎のオーブを埋め込んだ弟の左腕を。
 ヒュッと、音がした。
 頭上を何かがかすめた。
 背後の樹がメキメキと音を立てて倒れる。一本、二本、次々と倒れていく。
 鉈だ。腰に下げていた鉈をテムダが投げたのだ。凄まじい威力……当たれば危なかった。しかし、最後の悪あがき。もう動けないはずだ。
 テムダを包んでいた炎は徐々に弱まっていく。彼はまだ倒れない。倒れないどころか……一歩、こちらに歩み寄ってくる。
 そんなはずはない。確か熱傷は一定の面積を超えると様々な障害を併発して死に至るのではなかったか? それに高温の空気を吸い込んだだけで気道が腫れて窒息するはず……
 未だ炎は薄くまとわりついている。しかし、彼は確実な足取りでこちらに向かってくる。そのたびに私の足は一歩、後ろに下がる。
 回復魔法だ……自分に回復魔法をかけ続けている! このまま時間が経てば全てが終わる!
「オオオオオォ!!!」
 私の両腕、上半身と顔のほとんどは既に鱗に覆われていた。口の中には鋭い牙が並び、叫び声はもはや自分のものではない。
 振り下ろした右腕はテムダの左手に掴まれた。同時に左肩に激痛が走る。テムダの右手に握りこまれた短刀が、私の肩の鱗を貫き筋繊維をザクザクと切り裂いていく。
 己に治癒魔法をかけ続けているせいか、彼の剛力は十全ではないように思える。だが、それでもこのリザードマンの力と互角。
 互いに両腕が塞がった。しかし、この体格差。この私の頭の位置は。まずい。テムダの右膝が動く。このまま蹴り上げられれば、頭が吹き飛ぶだろう。
「兄さん、やめて!」
 その時聞こえたのは、紛れも無く、セトフノの声だった。
 テムダの脚が止まり、手の力が抜ける。
 拮抗が崩れ、一瞬後にはテムダの首が吹き飛んでいだ。
 彼は最後に見ただろうか。リザードマンと、異世界の少女と、実の弟が混ざった、その顔を。
 声を完全に変えるためには、声帯だけでなく骨格から顔の半分以上をセトフノに変化させる必要があった。
 悪魔憑き。
 なんと、本質を捉えた言葉であったことか。

◆ ◆ ◆

「お見事メポ! でもずいぶんやられたメポね〜」
「うるさい黙れ」
 空腹が限界だった。尖った歯で骨から肉をこそぎ落とす。
「でもなんであんな回りくどい方法を取ったメポ? 『炎のオーブ』を量産できるチート能力を使えば、どこか適当に穴でも掘って『炎のオーブ』を山ほど埋めて勇者を誘導すれば一発だったメポ。」
「……そんなことしたら、食べられない。最初の一個で程よく焼けて片がつく予定だった」
「メポポー! これは良いメポ! あの勇者相手に縛りプレイ! その甲斐はあったみたいメポね!」
 がつがつと勇者の肉を食い漁る。肩の傷も癒えてきたようだ。
「チュートリアルはクリア、でしょ?」
「もちろんメポ! と、言いたい所だけど……狩猟団の後続がそろそろ来るメポ。それを全滅させたらクリアメポね〜」
「ふん、そんなの」
 いまさら腹ごなしにもならない。
 私は彼が残した大きな弓を背負い、立ち上がった。