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携帯らっと
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 物江イズミの家の二階に桃子を寝かせて、ぴよらっとたちは一階のリビングに集まった。無造作に転がる立方体の椅子に各々自由に腰かける。
「ええと、お疲れ様……と言えばいいのかな、こういう場合はどう言うのが適切か分からないが……まずは何を話せばいいのやら……」
 物江イズミが途切れ途切れに切り出した。
「とりあえず、この件は冬見学長には報告しない方が良さそうですね」
 ミカが言った。
「そう……かも知れないな」
「ええ。実質タイムリミットが過ぎてしまった状態ですから……実力で黙らせることもできなくはないと思いますが、この件に関してだけは相手も譲らないかも知れません」
「あいつは普段は不真面目そうに振舞っているが、変なところで頑固だからな……大勢を助けるためには小さな犠牲を出すことを厭わない」
 学長はタイムリミットの三日前には桃子を世界の淵に追放すると宣言している。
 学生の、ひいてはこの世界に暮らす全ての人々の安全を守るためなのだから、身をなげうってでも実行しようとするかも知れない。
「ということは部長にも連絡は取れないんでしょうか?」
 ぴよらっとは表情を曇らせた。
「はい。部長と直接連絡を取るには学内ネットワークに接続しなければなりませんから、冬見学長に筒抜けになってしまいます」
 ミカは冷静に指摘する。
 ぴよらっとは、別れ際の部長の表情を思い返していた。
「私はここまで。皆で彼女を助けてあげて」
 それは、ぴよらっとに桃子のことを託すと言った時の表情と同じだった。部長はこうなることを予感していたのではないか……そんな思いがぴよらっとの中にはあった。
「ところで……いくつか疑問があるのですが」
 ミカはリリィに疑念の眼差しを向けた。
 リリィは、ああ、という顔をした。
「そうですわね……あの時、私もゴルドも墓石の後ろに桃子さんがいることに気付けませんでしたわ。私たちは気配に敏感ですけれど、あの時の桃子さんはほとんど死者と同じ状態でしたから。じっと身動きせずに隠れられたら、石と見分けがつきませんわ。あ、それとぴよらっとさんが無傷だったのはこの首飾りのおかげですわ。桃子さんを見つけた時に戦闘になる可能性は高いと踏んでいたので、念のため貸しておいたんですの。役に立ってよかったですわ」
 なぜあれほど近くに桃子がいたのに、ヴァンパイアである彼女らが動かなかったのか。
 どうしてぴよらっとが助かったのか。
 そんなミカの疑問を、リリィは直接読み取って答えた。
「さて、とりあえず桃子さんが今どういう状況なのか、再確認しませんこと?」
 そう言うとリリィはどこからともなくホワイトボードを引っ張り出してきた。

 ・観測者の半身に意識を乗っ取られて肉体まで変質してしまう『タイムリミット』が訪れてしまった。
   →機械兵の襲撃を桃子さんが知ってしまったことがきっかけか。精神的なショックによるもの?
 ・その後、何らかの理由で肉体の変質は元に戻り、(おそらく)精神も元の状態に戻っている。
   →ぴよらっとの姿を見た時点で元に戻っている
     →ぴよらっとがいれば変質は起こらない?

「このあたりが今最も重要な部分ですわね」
 立方体の椅子を踏み台にしてホワイトボードに要点を書き記すと、リリィは皆の顔を見回した。
「さて、これからどうするか、という話ですわ。このまま桃子さんを何事もなかったかのように学校へ連れ戻す? ……そう、それはおすすめ出来ませんわね」
 皆の感情を読み取りながらリリィは言う。
 桃子は既に一線を越えてしまった。学校に戻ったところで、いつまた変質してしまうか分からない状況だ。ぴよらっとが一緒にいれば変質は起こらないかもしれないが、四六時中つきっきりで学校生活を送るというのは現実的ではないし、何の解決にもならない。
 事態は、もう抜き差しならない状況に来ているのだ。
「つまり私たちは、これまで先送りにしてきた桃子さんの問題を……今、これから、解決しなければならないということですわ」
 場の空気は重かった。それができていれば、今更こんな事態には陥っていないのだから。
「できるのだろうか……?」
 皆の思っていることを代弁するかのように、重々しい口調で物江イズミが言った。
「やるしかありませんわね」
 きっぱりとリリィは言う。
「方法は三つ……いえ、二つありますわ。一つは、これまでに得た情報をもとに桃子さんを元に戻すアイディアを出して実行すること。もう一つは、再び変質が起こる前に桃子さんの体を完璧に凍結させること」
「凍結?」
「文字通りですわ。観測者は適合する肉体がなければ世界に干渉することはできない。ならば、肉体を使えなくしてしまえばいい。でも殺すわけではなく、あくまで凍結。いずれ良い方法を思い付くまでの時間稼ぎ……」
「それは……」
 ぴよらっとが何か言おうとして口ごもる。皆の顔も一様に曇っていた。
「それは、何か違う。問題を永遠に先送りにするだけで、桃子さんは自分の意思とは無関係に眠らされ続ける。それでは命を奪うのと変わりはない……と、こういう訳ですわね?」
 リリィが皆の気持ちを代弁する。
「私も、そう思いますわ」
 にっこりと笑った。
「でも代案がない。私は八年間それを探し続けてきたんだ。それなのに収穫は何もなかった」
 物江イズミが絞り出すような声で言った。強く握った拳が震えている。
 その拳に、そっと小さな手が乗せられた。いつの間にか物江イズミの前にリリィが立っていた。
「……ひとつ、案がありますわ」
 リリィの言葉に、物江イズミは懐疑的な眼差しを向けた。無理もない。彼はリリィの正体を知らされていないのだ。
 しかしリリィはそんな眼差しを気にする様子もなく話を続けた。
「この方法は、私一人では成し得ません。皆さん全員の協力があって初めて実現し得るものなのですわ」
 そう前置きして、リリィは本題を切り出した。
「プランは単純ですわ。桃子さんの半身である観測者を殺します」
 ざわり、空気が揺れた。
「そもそも、桃子さんはぴよらっとさんのおかげで記憶を取り戻しているのですから、今彼女を苛んでいるのは観測者としての半身だけ、ということになりますわね。彼女の肉体を変質させるのも、殺人衝動を誘発するのも、観測者ですわ。ならばその元凶を取り除いてあげれば良い」
「そんなことは分かっている。問題はその方法だ」
 観測者を桃子から切り離す――物江イズミはずっとその方法を探してきた。そしてついに見つけることはできなかったのだ。
「方法はとても簡単ですのよ。ただし、そのためには桃子さんを転化させなければなりませんわ」
「転化?」
「ええ。私はヴァンパイア・エルダー。私の特性は人の精神を喰らい、糧とすること。精神生命体の観測者を殺すことができるのも道理でしょう? でも、彼女をヴァンパイアにしなければ、精神をリンクすることができないんですの」
 物江イズミは唖然としていた。この子供がヴァンパイア?
 しかし、すとんと腑に落ちるような納得感もあった。自分の拳に触れるリリィの冷たい手。そこから伝わる不思議な安心感は、幼い容姿からは想像できないような包容力を感じさせた。物江イズミは理屈ではなく実感として、リリィをヴァンパイア・エルダーであると認めてしまっていた。
「そうだったのか……それならあるいは……」
 そして、娘をヴァンパイアにするという案も、思いの外すんなりと受け入れることができた。
 この八年間の桃子の生活に比べれば、種族の差がなんだというのか。
「先ほど言った通り、この方法を成功させるためには皆さんの協力が必要ですわ。ぴよらっとさん、回復剣は使えます?」
「は、はい。一応は」
「結構。桃子さんを転化させるとしたら、記憶の欠損リスクが最も少ない生から生への転化……すなわち生きたままの体から血を吸い、生きたままの体へ血を与える方法で行きたいと思います。でも、転化には問題点がいくつかありまして……。第一に、濃いヴァンパイアの血統は拒絶反応がとても強いんですの。実質肉体の半分を失っている桃子さんでは耐え切れる可能性はかなり低いですわ。そこで、ぴよらっとさんとミカさんに回復剣と快癒剣を使って頂きます。転化による肉体変質の暴走は外からの力で抑えることができますから。さて、無事に転化を終えられたとして、もう一つの問題が出てきます。転化したばかりの体は一時的に魔力がほとんどゼロになっているんですの。確か桃子さんは魔書を使って魔力を供給してもらっていましたわよね? なのでこの状態では何が起こるか分からず危険な状態だと考えられますわ。そこで、転化が終わったら、お父様の魔力を桃子さんに送って頂きたいんですの。血のつながりがあるぶん、受け渡しも素早く行えるでしょう。そしてゴルドは……分かっていますわね、観測者へと通じるゲートの確保を」
 それはまさに全員参加の総力戦だった。まるであつらえられたかのように、一人でも欠けては成し得ぬ運命の形。
「……と、まあ長々と説明をさせて頂きましたけど、これを実行するかどうかはまた別ですわ。あくまで一つの案です。他にも案があればそれもあわせて検討すべきですわ」
 リリィは皆の顔を順番に見回していった。そして最後にぴよらっとの瞳を見つめる。ぴよらっとは……