ripsh


ぴよりあ/メモリア
6




「それはね、奈緒が監視されていたからだよ」

図書館から帰り、夕食で白身魚のお刺身と細く切った野菜をオリーブオイルで和えたサラダ、貝のスープ、トマト入りのもちもちしたパンをいただいてから、私はお父さんとベランダに出て、昼間調べたことについて質問していた。
夜風が涼しく、すっきりと晴れた夜の空に、細かい雲が時折流れていくのがよく見える。
「監視って、誰に?」
「国だよ。奈緒が嫁いでいった国。結婚した相手が軍の人間だったということもあって、奈緒の周りはある程度監視されていたらしい。スパイの可能性を考慮して、手紙にも検閲が入った。そしてそのコピーが国のデータベースに保存されていたというわけだ。戦争のゴタゴタで、消されるタイミングを逃れて、ひとつの国になった今でもデータベースの片隅に取り残されていた」
お父さんは新しい電化製品の説明をするみたいに、軽い口調で言った。
けどそれって、とんでもないことなんじゃないだろうか。手紙の内容のことではなく、それをお父さんがそれを手に入れたということ。それはつまり……ひとつの国のシステムに入り込んで……いや、そんなことをしなくても、国の偉い人とつながりがあれば、データベースを見せてもらうことぐらい……って、それはそれでとんでもないことのような気も……。
私は不意に、目の前で穏やかに微笑んでいる父親の、普段私には決して見せない深淵を覗いてしまったような気がして、ぶるっと震えた。
「寒い? 戻ろうか」
「待って」
でもそれは、私が頼んだことだ。
ぴよくんのために先生を探してあげたい。その気持ちは最初から同じだ。
「もう少し聞きたいことがあるの。奈緒さんは監視されていたっていうけれど、それは本人も知っていたのかな?」
「知っていただろうな。少し考えれば想像できるし、もし知らなくても手紙を出そうとしたら夫が忠告してくれただろう」
「そう……」
考えを整理してみる。
奈緒さんは自分の手紙が監視されていることを知っていた。奈緒さんと田島さんは仲の良い親子だった。
……でも、奈緒さんは田島さんを学術雑誌上で徹底的に攻撃した。同時に手紙のやりとりは途絶えた。
「……ねえ、田島さんから奈緒さんに宛てた手紙も、検閲されてたの?」
「当然、そうだな」
「奈緒さんは家を出てからすぐに田島さんと手紙のやりとりを始めたんだよね?」
「まあ、そうだ。引越しの面倒事が落ち着いてからだから、直後というわけではないけどな」
「だとすると、田島さんは奈緒さんに、ぴよらっとのことを書いていたんじゃないの?」
「書いていた。他でもない奈緒自身が拾ってきたのだからな、怪我の経過はどうだとか、どれくらい懐いたかとか、奈緒も知りたがっただろうし……」
「ぴよらっとに言葉を教えたことも?」
「言葉を教えたことも。そしてぴよらっとが言葉を話したことも」
「田島さんは手紙で、そのことを論文で発表するって奈緒さんに伝えなかったの?」 
「田島夫妻は、仕事のことは手紙に書かないようにしていたらしい。わざわざ娘に宛てた手紙の中でする話ではないと思ったんだろう」
お父さんの声には実感がこもっているようだった。
そういえば、お父さんもお母さんも、私たちの前で仕事の話をすることはめったにない。
大人とはそういうものなんだろうと、今は納得するしかなかった。
ともかく、ぴよらっとが言葉を話すことを奈緒さんが知ったのは、論文発表より前だった。全て知っていた上で田島さんを攻撃したのだ。
奈緒さんにはそうする理由があった。一体どんな理由が?
……簡単には思いつかない。
考えてもわからないときは、別のことを解きほぐす作業に取り掛かったほうが、同じ場所で悩み続けているよりも早く答えが出ることがある。
別のこと。そう、例えば、実験のこと。
「奈緒さんがした実験……ぴよらっとを保護して教育したってやつ。あれは本当なの?」
「ある程度信頼できる記録を証拠として持ってきているからな、普通に考えれば本当にあったことだろう」
「普通に考えれば?」
「……多少の無茶は可能だったということだ。奈緒の夫の父親は軍上層部の人間でな、その力を使えば偽の記録を作成することもできなくはなかった。それなりにリスクを伴う力技だが」
「……仮に記録が偽物だったとしたら、奈緒さんはそんなものを作ってまで父親である田島さんを攻撃したってこと?
その結果、田島さんと奥さんは離婚して、田島さん自身も失踪することになったのに……。
奈緒さんが、そんな結果を望んでいたとは思えない……」
ますます、奈緒さんの行動が不可解に見えてくる。
奈緒さんは何か別の目的があって行動し、失敗してしまった……のだろうか。
もやもやと頭の中に仮説が浮かび上がってくるけれど、それはとらえようのない幻のようで、あと一歩のところで掴みきれない。
頭を使い過ぎて疲れてしまった。
ベランダの柵に両手をのせて、長く息を吐く。
「そろそろ戻ろう。子供は寝る時間だ」
お父さんの声にぼんやりとした頭で頷いて、明るい光が漏れる部屋の中へと戻った。

「……あれ、なにこれ?」
部屋に入ると、壁際に、外に出るときには無かった大きなダンボール箱が置かれていた。
「公子とお父さんのぶんのハーブティーよ」
「え?」
噛み合わないお母さんの答えに戸惑いつつ、その視線を追うと、確かにテーブルの上にティーカップが二つ置かれていた。
「ああ、ありがとう……じゃなくて、そこのダンボールのこと。さっきまでこんなのなかったよね?」
「それはねー、プレゼント。開けてごらん」
お母さんがふふんと笑う。
また何か、イタズラを仕掛けたのだろうか。
お母さんは時々、こういう子供っぽいことをする。
でも、お母さんがたまにするイタズラはどれも愛嬌があって、私は嫌いではなかった。
ここは大人しく引っかかってやるかと箱を開けると、ビニールで梱包された中身が出てきた。
てっきりびっくり箱みたいに何か飛び出してくるんじゃないかと思っていたので、ちょっと拍子抜けしつつ、ぐるぐる巻きの緩衝材を剥ぎ取っていく。
すると、中から出てきたのは、ぴよくんだった。
「……ぴよくん、何やってるの?」
「ぼくがどうかしましたか?」
ぴよくんの声は、予想外の場所、私の背後から聞こえてきた。
「わっ」
驚いて振り返ると、エプロンを着て布巾で手を拭っているぴよくんが立っていた。
「あ、お母様、洗い物が終わりました」
「ありがとうぴよらっとさん。悪いわねぇ」
「いえいえ、身体を動かしていたほうが楽なのです」
そうか、ぴよくんは食器を洗ってくれていたのか……となると、箱から出てきたもうひとりのぴよくんは?
「人形……ぬいぐるみ……?」
恐る恐る触ってみると、本物のぴよくんとは手触りが違った。
「原寸大ぴよらっとさん型抱き枕クッションよ。私も久々に全力を出したわ……」
ふっ、と汗を拭うような仕草をしながらお母さんが言う。
「えっ、これお母さんの手作りなの?」
「まあそんなところ。ほら、この間ぴよらっとさんのサイズを測ったじゃない。そのデータを基に設計して特別に発注したの。手触りとか感触もできるだけ再現しようとしたんだけど、今の人類の力ではまだこのあたりが限界ね」
お母さんは愛おしそうに抱きまくらっと(抱き枕+ぴよらっと)の手をふにふにしながら、本気か冗談かわからないことを言う。
いつも一緒にいる私ですら見間違ってしまうほどに完成度は高い。……けど、確かぴよくんのサイズを測ったのって二、三日前じゃなかったっけ?
さっきのお父さんに引き続き、今度はお母さんの『本気』を垣間見てしまい、またもや私は震えた。
「でもどうして作ったの? これ……」
「だって公子、ぴよらっとさんを枕がわりにしてるんでしょ。寝るたびにヨダレたらしちゃって。ぴよらっとさんに悪いじゃない」
「それは……そうかもしれないけど。やわらかくて気持ちいいんだもん」
「私の作品だってなかなかのもんよ。自分用にもう一個作ろうかと思ったくらい、会心の出来だと自負しているわ」
「まあ確かに、これも可愛いから一緒に寝ようかな。ねえ、ぴよくんも……」
振り返ると、ぴよくんは、自分と同じ姿をした抱き枕クッションをじっと見つめていた。
私が話しかけているのも聞こえないような、真剣な様子で。
何も語らず、動かず、ただじっと、ふたりのぴよらっとが見つめ合っている。
まるでそこには魔法の鏡があるかのように。
「……ぴよくん?」
もう一度声をかけるとぴよくんは、ハッと我に返ったように振り向いた。
「あっ、すみません。ボーッとしちゃって……」
「自分と同じ姿のぬいぐるみがあったら驚いちゃうわよねー」
お母さんはのほほんと笑った。
でも私は、何だかぴよくんの様子がいつもと違うような気がして、そっとぴよくんの手を握った。
「……だいじょうぶ?」
「大丈夫です。ちょっと驚いてしまっただけで……心配かけてしまってすみません」
ぴよくんはすぐにいつも通りの様子に戻ったけれど、私の胸の中はまだもやもやしていた。
「手、冷たい」
「はい。さっきまで水に触れていたので」
「熱冷ましのシートみたい。やわらくて、ひんやりしっとりしてる」
私はぴよくんの冷たい手を自分の頬に押し付けた。

その夜は、なんとなくぴよくんが一人になりたがっているような気がして、私はお母さんからもらったぴよらっと型抱き枕を抱いて寝てみた。
ぴよくんにはゲスト用の部屋を案内して、私は久しぶりに一人で寝室に入った。
電気を消して、眼を閉じてみて初めて、自分だけの寝室はこんなに寂しいのかと驚いた。
しばらく眠れずに悶々としていると、静かにドアが開いて、有くんが入ってきた。まるで私の心が伝わっているみたいに、当たり前みたいな顔で。
私たちは何も言葉を交わさずに、そっと手をつないで眠りに落ちた。

◇ ◇ ◇

翌日、私と有くんは、ぴよくんの案内で、ぴよくんが住んでいた山の中を案内してもらっていた。
夜のうちに少し雨が降ったのだろうか。地面が黒く湿り、葉っぱや木の幹がしっとりと濡れて、緑や茶色をより濃くしていた。
時刻は昼過ぎ。空は爽やかに晴れ渡り、湿気を含んだ風が木の葉をさわさわと鳴らしながら木々の隙間を駆け抜けていく。
「きれい。遠くまで見渡せる海もいいけど、こうやって色々な植物が重なって絵みたいになっているのを見るのも好き」
私はぽたぽたと露を含む葉に手を濡らしながら呟いた。
二度目に足を踏み入れた森は、やっぱり変わらずどこか神秘的な感じがして、高く聞こえる鳥の声や虫の声を聞くたびに心が澄んでいくようだった。
「公子は海より山の方が好きなんだね」
「海も好きだよ。ベタベタするのが嫌なだけ。有くんは? どっちが好き?」
「僕はどっちも同じくらいかなあ」
「そっか。ね、ぴよくんは?」
前を歩いていたぴよくんが、ぴょこんと振り返る。
「ぼくは山の方が好きです」
その姿は、いつもと変わらないように見えた。
昨日、何か考え込んでいたように見えて心配で、今日は無理やり誘ってみたのだけれど、杞憂だったのかもしれない。
「だよね。ぴよくんと会ったのもここだったし……あの時はびっくりしたなー」
少し前のことなのに、なんだか懐かしいような気がして言うと、突然ぴよくんが改まった様子で口を開いた。
「あの……そのことで、実はおふたりに、内緒にしていたことがあるんです」
「内緒にしてたことって?」
有くんが優しく促す。
「実は、ぼくはみなさんと会う少し前から、みなさんのことを知っていました。
このあたりを散策して、近くに別荘があることは知っていたのですが、その時はまだ誰もいなくて……あの日、みなさんが別荘に来たとき、ぼくは木の陰からそっと様子を見ていたんです。
その後も、公子ちゃんや有くんが遊んでいる姿を、遠くから見ていました。
なんだか懐かしいような気持ちに胸がうずいて、ぼくは人とは違うからあまり近付いてはいけないと思いつつも、幸福そうなあなたたちの姿を見るのが楽しくて、気がつくと毎日、足を運んでしまっていたのです。
そしてあの日、ぼくは樹の幹に寄り添って眼を閉じる女の子を見つけて、なんだか前にもこんな場面を見たことがあるような気がして、つい、姿を隠すのが遅れてしまいました。
とうとう見つかってしまった、こうしてあたたかい家族を遠くから眺める幸福さえ失ってしまうかもしれない、という恐れから、ぼくは全速力で逃げました。さすがにあんなに小さな子ではここまで来れないだろうと思い一息ついたところで、ぼくはその子と目が合ってしまったのです。
これはもう、観念するしかないと思いました。怖がられたり、危害を加えられそうになったら潔くここを去ろうという覚悟をしていました。それでも最初は、ぼくが言葉を話せるということを隠しておこうと思いました。先生から、人間にとってぴよらっとは喋らないのが普通だから、急に喋ったら驚かせてしまうと、教わっていたので……。これまでも人に助けられたことが何度かありましたが、ぼくは人間の言葉を話せない普通のぴよらっととして振舞って、そうして過ごしてきました。
ところがその時は、本当に予想外なことに、ぼくの心の中に、不思議な感情が湧き上がってきていました。それはたぶん、寂しいとか、そういう気持ちです。ぼくはほとんど無意識に、声を出してしまいました。
しかし驚いたことに、ぼくが挨拶をすると、その子はぼくを抱きしめたのです。ぼくは夢をみているのではないかと思いました。遠くで見ているだけだった場所に触れられた喜びで頭が混乱してしまって……いろいろと、言わなければならないことを忘れてしまっていました」
私たちを見つめるぴよくんの瞳は穏やかで、同時にどこか切なそうな色をしているようにも見えた。
「公子ちゃん、有くん、ずっと覗き見していたことを黙っていて、ごめんなさい。そしてあの日、ぼくを受け入れてくれてありがとう」
私と有くんはほぼ同時に、左右からぴよくんに抱きついた。
「なんだ、そんなこと気にしなくていいのに。隠れて見てないで、出てきてくれたら、もっと早くお友達になれたんだから」
ぴよくんのやわらかいほっぺたにぐりぐりと鼻先を押し付けながら、なんていじらしくて可愛い生き物なんだろうと思った。
と、同時に、自分で言った言葉になぜか少しチクリとした痛みを感じたけれど、それは次の瞬間にはもう溶けて消えてしまっていた。

その後、ぴよくんと出会った湧き水のある場所まで歩き、滾々と湧き出る清冽な泉の水を飲んで、山を降りた。
体の奥深くから清められたような気がして、来る時よりも足が軽かった。
「お父さんとお母さん、海に行ってるって」
別荘に戻ると誰もいなかった。リビングのテーブルに置いてあったメモを見つけて、私たちも浜辺に行くことにした。
日が傾き、空の色が変わり始める時間。さすがにもう泳ぐような時間ではない。私たちは普段着のまま、砂浜に降りる。
「お邪魔しちゃった?」
粉砂糖のような砂の上にシートを広げて、お父さんとお母さんが海を眺めていた。
「何言ってるの、この子は」
お母さんが笑って、少し詰めてくれる。
私たちは五人で並んで海を見た。
「山はどうだった?」
「湧き水を飲んだよ。冷たくて、綺麗だった」
それぞれ、今日あった些細なことをとりとめもなく話した。
ニュートラルな気持ちのまま、力を抜いて言葉を置いていく。
そしてふっと皆が静かになる。
波と風の音が耳に響く。居心地の良い沈黙。静寂。
風が止むのを待っていたかのように、不意にぴよくんが話し始めた。
「公子ちゃん。実はもう一つ、きみに黙っていたことがありました」
お父さんとお母さん、有くんも、何も言わない。
私も何も言わず静かにぴよくんの横顔を見て、続きを待った。
「昨日、お母様が公子ちゃんにあげたプレゼント――あのぬいぐるみを見たとき、ひとつだけ、ぼくは思い出したのです」
「思い出したって……忘れていた記憶?」
「そうです。あれを見た瞬間、ぼくのなかに電気が走ったように、思い出しました。それは、母の記憶でした」
ゆっくりと、言葉を選ぶようにぴよくんは語る。自分でもまだその記憶に対して、気持ちの整理がつかなかったのかもしれない。
「ぼくが先生と暮らしていたとき、傍にはいつも、母がいました。母はぼくと見た目はそっくりでしたが、とてもたくさんのことを知っていました」
「……その、お母さんも、人間の言葉を話したの?」
「はい。ぼくは母と先生にたくさんのことを教わりました……」
その言葉を聞いた瞬間。
私の中で、まるで無数に散らばっていた歯車がぴったりとあるべき場所に収まり、ガチリと音を立てて回り始めたような、そんな感覚があった。
激しい奔流。眠っていた意識が目を覚まし、曇った窓を開けて遠くを見渡したような、覚醒感。
轟々と音を立てながらこれまでの記憶が組上げられ、ひとつの形を作っていく。
「……本当は、すぐに公子ちゃんに教えようと思いました。でも、できなかった。昨日、公子ちゃんとお父様が話しているのを聞いてしまって……もう先生には会えないことを知ってしまったから」
「!」
「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんです。ただお二人が長い間外に出ていて、昨夜は少し肌寒かったので身体を冷やしてはいけないと思って、ハーブティーを持って行こうとしたとき、偶然、聞こえてしまったんです。『田島さんは失踪することになった』と……」
部屋に戻ったときにテーブルの上にあったハーブティーは、ぴよくんが持ってきてくれたものだったんだ。ぴよくんは私とお父さんの会話を聞いてしまい、ショックを受けて、そのまま部屋に戻った……。
「初めて図書館に行った日。あの日、公子ちゃんはぼくに言いましたね。ぴよらっとについて調べていたら、なんだか難しそうな論文が出てきたと……。実はぼくも、その論文を見て、知っていたんです。ぴよらっとに言葉を教えたと主張する、田島さんという学者のことを」
やっぱり、ぴよくんはあの日、先生について調べていたんだ。
そして私と同じように、田島さんの論文に行き当たった。
ぴよらっとに言葉を教えたと語る学者。ぴよくんは彼こそが、自分の先生なのではないかと考えたに違いない。しかしそれ以上は調べられなかった。私と同じように……。
そして昨日、ぴよくんは私とお父さんの会話を聞いてしまった。先生だと思っていた田島さんは既に失踪してしまっていた。私とお父さんの口調から、もう彼を探すのは難しいということを悟ったのかもしれない。
でも――
「公子ちゃんが時々難しそうな顔をしていたのは、ぼくのために先生のことを考えてくれていたからだったんですね。お父様も、色々と調べてくださったみたいで、ありがとうございます。でも、もういいんです。ぼくは、もう先生に会えないということがはっきりしただけで、十分です。これでようやくすっきりできます。ありがとうございました」
でも、そう言うぴよくんの横顔は、ちっともすっきりしてなんかいなくて……。
紫色に変わりつつある空と、赤く燃え始める陽の光に照らされて、すごく寂しそうに見えて……。
「違うよ」
私は、そんな寂しさや、もやもやとしたものを断ち切りたくて、大きな声で言った。
「違うよ、ぴよくん。ぴよくんの先生は、田島さんじゃない」